わが師わが心・・


                
第 7 話
         
野火を支えた江戸っ子気質(かたぎ)


●またの名は"うるみ婦人"
高田敏子は1914年(大正7)、東京・日本橋蛎殻町の瀬戸物問屋に生れました。生っ粋の下町っ子です。
詩友の安西均が高田敏子のプロフィールを活写した一文があります。

人づきあいは、愛想よく、気さくで、分けへだてをしない。親切で、世話ずきである。人情家だから、涙もろい。話ずきだが、むだなおしゃべりや陰険なカゲ口を好まない。気どりがなくて、おかしい時にはノドの奥まで見せて高い声で笑う。

度の過ぎない程度に地口や洒落がうまく、トンチがあるから、賑やかな雰囲気がかもされる。楽天家で陽気で、お祭りごとや芝居見物が好きである。いささか、のぼせ性かもしれぬ。江戸っ子らしい粋がわかり、侠気
(おとこぎ)には拍手を送る。つまり「お侠(きゃ)ん」な一面を、どこかに蔵しているが、ちょっぴり迷信家かもしれない。

江戸下町の商家の、心きいたご新造さんを地でいく印象だと評しています。
愛想がいい。気さく。分けへだてがない。親切。世話好き。話好き。涙もろくて人情家。余計な詮索、噂話をしない。
持って生れた江戸っ子気質は、大所帯の全国組織をまとめていくのに、最良の利器だったのです。
良質な庶民感情という生まれつきの資質。
「野火の会」は、高田敏子のパーソナリティーを全面開花させる天与の事業だったのかも知れません。

チャキチャキの江戸っ子である先生に師事するのは、地方出の私にとって「異文化体験」にも匹敵するほど、新鮮な驚きと刺激に満ちた日々でした。
江戸っ子気質とは、私の目に、あからさまな感情の発露  喜怒哀楽の鮮やかな人格として映りました。

「喜」の面で言えば、少女のように体をふるわせて笑う先生の姿がまず思い浮かびます。高田宅で開かれる毎週一度の若者の勉強会には、先生はできるだけ仕事を空けて同席しました。
私たちのたわいもない会話に一人先生が吹き出して、こちらもつられて笑いのお供をする、陽気さに満ちていました。

「哀」の面では、先生はすぐに涙ぐむことで詩友に知られています。仲間内では、「うるみ婦人」の渾名がついていたほど。詩人とは誰よりも、物に感じ入り、目を潤ませる者だということではないでしょうか。

「楽」の面では、生来のイベント好き。野火会員と連れだってのお花見、花火大会、葡萄狩りと、四季折々の行楽を楽しんでいます。
最後に「怒」の面では、私は実によく怒られました。
気が利かないと言って怒られ、共に外出すれば女性の荷物はすぐに持つものだ、と叱られたのです。

冬のとある日、コートを着たまま訪問先の玄関に入ろうとしたら、すかさず先生の怒声が落ちて来ました。
先生から下った最大の怒りは主宰詩誌『野火』に傷をつけるような行為でした。

●詩人訪問記
『野火』誌上には先生と交友のある第一線の詩人を訪ねるインタビュー記事欄がありました。
インタビューは、生きた詩作の勉強を目的としており、若者の会員が中心となっていました。

題して「先生訪問記」。その名の通り、詩人たちの自宅を訪問したのです。
私も「野火の会」入会早々、メンバーの一員となり、本職の記者でもない学生の身でプロの先達に接するのは、毎回、かなりの緊張と不安を伴いました。
事前に訪問する詩人の詩集を読み、質問事項をまとめていく。詩集は、小説と違って仲々入手が難しく、国立国会図書館に通ってノートに筆写することも度々でした。

中には、私たちの詩的未熟さでは、作品が理解できず、消化不良のままインタビューに赴いたこともあります。
それでも、ほとんどの詩人が逆に、若い私たちを労ってくれ、先生との交流の深いこともあって、ご馳走ぜめに合うほどの歓待を受けることも多かったのです。だが、すべての詩人がそうだったわけではありません。

●怒りのシャワー
ある男性詩人を訪ねた時です。
都内のマンションの一室に招じ入れられると、室内は瀟洒に調えられ、詩人夫婦は和服に身を包んでいました。つまり、私たちは正装の出で立ちで迎え入れられたのでした。詩人は、本職の記者レベルの担当者がインタビューに来るものと予想したらしい。

ところが、私たち学生のにわかインタビュアーは、暑い気候の頃でもあり、普段通りのジーパンにTシャツといったラフな格好でした。
まず、それが詩人の神経に障ったようです。
訪問前日、スタッフ一同で練り上げた質問を投げかけるのですが、気難しい表情を崩さぬまま、言葉は返って来ません。そして、終りに一言。
「君たち、あんまり僕の作品は読んでいないね」

この科白を潮に、靴に半ば足を突っ込んだまま、逃げるように詩人の家を辞しました。重い足取りで高田宅に向かい、インタビューが不首尾に終ったことを先生に報告しました。
先生にはすでに相手方からクレームの電話が入っていたらしい。先生は私たちの顔を見るや、怒り心頭に達した面持ちでした。

それから小一時間、大の男たちががっくり首を垂れながら、こんこんと、先生の骨身に沁みるお説教を身に浴びました。
訪問時の服装、マナーから、質問の方法、原稿のまとめ方まで、怒りながらも実に的確、緻密に、インタビューの何たるかを、説き起こしていくのです。

先生の叱声を聞きながら、
「ああ、本当になんて俺は馬鹿なんだ。先生の言う通りだ」と、自分の愚かさが瞬時に溶かされるような心地よさで、叱られる声が身に泌みてゆきます。
先生も声を荒げるかと思うと、急に調子を和らげて、
「私は怒れば怒るほど、頭が冴えてくるのよね」と目で笑っています。私は自分が情けないやら、先生の言葉がおかしいやらで、怒られたことに対する悔しさや恨み言は不思議に浮かばないのでした



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