わが師わが心・・


                
第2話
              
上京まで


●25歳で第2の大学へ
 私は苛立っていました。下宿先のこの部屋から一刻も早く父が立ち去ってくれるのをしびれをきらして待っていました。長年憧れた東京での新たな暮らしが始まろうとしていたのです。私はすぐにでも一人になりたくてたまりませんでした。
 コンピューター技師を目指していた郷里の大学を、文学青年の友人に感化されて2年で休学。25歳で東京の私立大学文学部に入り直すまで、父母との長い確執がありました。
 文系から理系へ進路変更する学生は珍しくありませんが、私のように常識を覆すような行動は両親には理解不能だったでしょう。私の決心は地元の国立大学への入学を私より喜んだ親の期待を完全に裏切る行為でした。
 志望校に不合格となった時は、即、大学へ復学すると私が念書に書くことで、父母は精一杯の妥協をしてくれました。
 休学後、昼は予備校に通い、夜はなおも反対する両親と口論を重ねることが私の日課となりました。2年後、志望校に合格した1974年(昭和49)春、父は「あの子は本当に勉強が好きなのだろう」と、無理に自分を得心させた、諦めの言葉を母に呟いて、私のわがままを許してくれたといいます。
 大学の入学手続きのため上京する際、どうしても下宿の家主に挨拶したいという父の申し出を断る資格は私にはありませんでした。

●父子で上京
 下宿は新宿駅から快速で40分ほどの私鉄沿線にありました。当座をしのげる雑貨を近くの商店街で父と共に買い求めました。家具一つない西陽が射すだけのがらんとした四畳半の部屋で、父と息子が楽しげに食器棚を組み立てる姿は、昨日までの父子の葛藤を思うとおかしな光景に感じました。
 いよいよ父が東京を離れる日、一人息子を初めて大都会に残す父の憂慮をよそに、私はこれでやっと一人になれると、喜びで胸が一杯でした。
 下り新幹線の発車ベルが鳴りました。しかし、電車が動き出すまでの数十秒が実に長く感じられました。その間の、まのぬけた時間、私は父と別れの目顔を交わすのが照れくさく、冷淡にあらぬ彼方を見やっていました。
 電車がすべるように遠ざかり始めました。こちら向きに腰掛けた父が、私が手を振ると、それに応じるようにこっくりと首を揺らしました。
 念願通り、やっと一人になれた。そう思うと同時に、ああ、これで本当に自分は一人きりになったのだ。自分はそのために何と多くの時間、費用、親の苦労を犠牲にしてしまったのだ、という悔いが一気に噴き上がり、涙があふれてきました。目頭を手でぬぐいながら、人の目を避けるように私はホームの階段を下りていきました。


2006年
 1話