わが師わが心・・


                
第3話
              
詩人の蜜柑


●一冊の古本が転機へ
猛烈な親の反対を押し切って新たな大学生活を始めたものの、文学部に入って具体的にどんな研究分野に進むかは漠然としか考えていませんでした。
愛好する作家の文学評論でも手がけようかと思い浮かぶ程度の軽さだったのです。転学に反対する周囲との軋轢の中で、私は文学への情熱を保つのが手一杯で、将来の具体的な設計図は何も描いていないという粗雑なものでした。
だから、入学当初は手当たり次第、文学サークルを尋ね歩きました。歴史研究会、社会思想研究会、文芸サークルなど。
しかし、学内のいずれのサークルも自分に見合ったものは見出せませんでした。考えてみれば、初めから必然性のある動機がないのだから当然といえるでしょう。
郷里の大学を中退し、地方から上京したばかりで、知り合いも友もなく、属するクラブもない、孤立した浪々の身をもてあます日々が続きました。
通学路の早稲田通り沿いは古書街でした。本好きが幸いして、そこが唯一無聊を慰める場所だったのです。
上京後、一年もたたない内に目標を見失った私が、詩の世界に入ったのはほんの偶然に過ぎません。通りすがりの古書店で一冊の詩作入門書を手にした、取るにも足りないことがきっかけでした。
本の後書きに、ある詩のグループの所在地が記されていました。私は好奇心から手紙を出しました。グループの編集係の名で、すぐに返事があり、若い人達の集いの会があるから一度遊びに来ないか、との誘いでした。

●詩人を訪ねる
会の主宰者の自宅を訪ねたのは、上京して2年目の1975年(昭和50)10月の夜でした。
主宰者は外出中でした。集まっていたのは私を入れて5人ほど。先輩格らしい女性が、男性会員は少ないので、歓迎だと言ってくれました。 が、留守のせいか、集まりは私を含めた新会員の自己紹介と雑談に終始し、小一時間ほどで散会となりました。
会員達と連れ立っての帰り道、薄闇の向こうから近づいてくる痩身の小柄な女性が見えました。
先生! と声をかけられたその女性が主宰者でした。私が今日初めて伺った旨を手短に伝えると、先生と呼ばれた婦人は、買ってきたばかりの蜜柑を笑顔で手に乗せてくれました。都会の一人暮らしの中で、見知らぬ人から受けた、てのひらに泌みる重さでした。
これが詩人・高田敏子との出会いです。私は26歳、詩人は61歳。その日以降、私も詩人を先生と呼ぶようになり、1989年(平成元)の逝去まで、15年近く私淑することになるのです。


2006年
 1話