わが師わが心・・


                
第6話
            
全国詩誌の誕生


●詩集のベストセラー
詩のテーマは、ごく一般の主婦として過ごす暮らしの中の題材。誰にでもわかる親しみやすい表現。高田敏子の詩は主婦層の共感を呼び、全国に名を広めました。

新聞掲載詩が『月曜日の詩集』として出版され、詩集としては異例の3万部を達成したのに比例して、高田敏子の許には読者からの問い合わせが殺到するようになります。

詩を書いたから見てほしいと作品を送ってくる者。詩の作り方を教えてほしいと訴える者。普通の主婦が入れる同人誌がないかと尋ねる者。個々の質問に懇切に手紙で答えることは時間的、精神的にも個人の力を越えていました。

●カルチャーセンターの先駆け
1966年(昭和41)、全国の愛読者の要望に応えるため、高田敏子は誰でも入れる暮らしの詩誌『野火』を創刊することを決意します。

その頃、家庭の主婦や一般の者が気軽に入れる同人誌は皆無に近かったのです。また、現在のようなカルチャーセンターも普及していない時代でした。
だからこそ、同人詩誌の会を設立して公表の機会を持つことが、詩を求める人たちへの最良の返事であると考えたのです。

「野火の会」は「生活と詩をつなぐ」をモットーに、一般の初学者  主婦、学生、社会人、定年後の高齢層を専門的に指導する先駆的役割を果たすことになります。
『月曜日の詩集』を機縁として生れた『野火』は、全国的な会員組織による初の詩の投稿雑誌でした。大組織の会を維持するに当たり、5人の詩の仲間が詩誌終刊まで、精神面、編集面で主宰者を援護しました。
安西均(朝日新聞記者)、伊藤桂一(直木賞作家)、鈴木亨(跡見女子大学教授)、菊地貞三(朝日新聞記者)、若山憲(絵本作家)の緊密なブレインです。

●会を支えた詩友
彼らは『野火』誌上に古典の詩(安西均)、現代詩入門(伊藤桂一)、近代詩の歴史と鑑賞(鈴木亨)、昭和詩史(菊地貞三)などの記事を精力的に連載、親しみやすい表紙絵(若山憲)で各人が野火を飾りました。

投稿作品の選評も当初は、高田敏子一身で行っていましたが、さすがにその労苦を見るに忍びず、後にこれら第一線の詩人たちが全国のブロック毎に選評執筆の分担を担い、主宰者を全面的に援護しまいた。
この分担制は主宰者を助けただけでなく、選評の公平性が高まる効果を上げました。
そして私たち会員にとって、何よりもありがたかったのは、高田敏子を含め5人の詩人を一度に先生として私淑できた幸運を与えられたことです。

詩友の献身的な支えと、高田敏子の全身全霊を傾けた情熱によって、「野火の会」は主宰者の逝去まで23年間続き、会員数は全国で常時800名余。刊行した『野火』(隔月刊)は141号を数えました。また、会員の詩集出版は184冊に届き、これらの詩集一冊一冊に高田敏子は編集、装丁、紙質の選定から、序文の草稿までを手がけています。


2006年
 1話