高田敏子の言葉・・



                第 5 葉
           詩は具体的に書く


昨夜は*水曜会、Tさんが、作品を持って来て「これでいいかしら?」と心配そうに見せました。私はくり返し二度読んだのでしたが、よく意味がわかりません。

「これ、何を言おうとしているのでしょうか? 具体的なことが書かれていないので何をいっているのかよくわかりません」
「え? 具体的?」
「そうよ、あなたが言おうとしていることを具体的に」
「でも詩は情感でかくのでしょう?」

こんな会話をして、「ああ」と私は気がつきました。
情感情感と思う余りに、かえって心が伝わらない、あいまいなこともしてしまう。
「詩は情感」と、思いすぎている方がずいぶんと多いということを思いました。
情(思い)、感(感じ方)は、ただそのままのことばでは伝えにくい、はっきりとしたいい方は、まずないといってよいのでしょう。

「今朝はよいお天気、とてもいい気持」、「花が美しい、とてもとても心にしみた」というように、「いい気持」とか「とてもとても」を重ねることでしかいえなくて、普段の会話ならそれで済んでしまいますが、そう言い流すのではなく、情感の状態をなおよく伝えようとするのが詩であって、その伝え方を考え構成するのが、詩を書く作業、技術ということになります。

それで、「いい気持」を伝えようとするときは、自分をいい気持に感動させてくれたもの、晴れた空なら、その晴れ具合をなおよく観察して、具体的に書くことが必要です。
自分を感動させてくれたものについてを、しっかり描写するすることで、読者にもその感動の気持が伝わるのです。

「花が好き」という場合も、「好き」という情感だけにひたりきるのではなく、花そのものの姿かたちを見つめ観察し、好きと思う自分の心の状態も観察して、花と自分との結びつきを書くことが「好き」の情感を伝え現すことになります。

詩は情感を現し伝えるものですが、その表現の方法、伝え方に必要なのは、よく見ること、対象をしっかり観察し描写する、具体的な描写、イメージが大切となります。(中略)

人の心のうちは見えません。人を愛して悩むのは、その心のうちが見えないから。その見えない心を現すには、目に見えるものにたとえるしか方法がありません。「心は火のように燃えている」というように。目に見えるもの、形あるものにおきかえることが具体的表現となるのです。
                    
主宰詩誌「野火」第69号「今月の作品評」


         *水曜会とは、毎週水曜日、高田敏子宅に集う若者有志の勉強会。
          勉強会の他、先達詩人への自宅訪問インタビュー、主宰詩誌の
          発送作業など、裏方を手伝った。

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