高田敏子の言葉・・



                第1葉
        小さなことを掘り起こす


今月は作品が多く、女性の作品だけでも300篇近くになりました。
3日がかりでいま読み終えて、いろいろのことが思われました。
作品の中にはそれぞれのお人柄があって、生活もうかがえてお一人お一人にお会いしている思いになります。
どなたも一生懸命に書かれている心が伝わって来ますが、平面的なことばのつながりで終っているものもかなり多いのです。
どういうところで詩になるかを、説明するのはむずかしいのですが、詩がただの文章とは違う意味を持っている理由は、そこに日常的以上の何らかの発見をこめるところにあるのでしょう。
その発見の目を少しずつでも養い、磨いてゆくところに詩を書く意味があってただ "文字をつづるのが好き" というのとは少し意味が違うことを思わなければなりません。
書くことが好き、という以上に、日常の味わいをいろいろの角度から見つめる心が必要なのでしょう。
普段は何気なく見て過ぎていることも、机に向かいペンを持ったとき、そのことについて見つめなおし、そのものが自分の生とどのようにかかわっているかを探ることが大切です。
それは、自分なりに気付いた、ちょっとしたことでよく、大げさな、立派なことを言おうとする必要はないのです。ほんのちょっとしたことこそ、自分の発見であり、人生の味といえるのでしょう。
詩は "日常の中にかくれている小さなことを掘り起こす作業" と思うことなのでしょう。
ことばは、大げさでない表現にこそ実感があります。気取りすぎてもいけません。人それぞれ、自分をそこにこめる思いでことばを選ぶことが大切です。
                           
『野火』第67号

                
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高田敏子主宰「野火の会」は詩誌『野火』を隔月で年6回刊行していました。会員800余名の内、毎回平均200名が投稿。
つまり、会員は1月おきの締切り。主宰者には、一月おきに200篇余の作品が一斉に送られてくることになります。
全原稿を3日間、徹夜で選考し添削することを高田敏子は一身に課していました。3日間、と期日を限って集中したのは、選評作業が専業ではなかったからです。講演、新聞連載記事、カルチャーセンターの「詩の教室」、婦人雑誌の投稿欄選者など諸々の仕事と並行して行なわれた
のでした。



2006年
 2葉