詩に初めてふれる人に・・
第5話
比喩アラカルト
◆比喩の豊かさ
詩人・高田敏子は詩の入門書『詩の世界』で比喩について語っています。
「人の心は目に見えません。ですから、〈悲しい〉といっても、第三者にはどんな風に悲しいのかわかりません。比喩は、見知らぬ相手に自分に思いを伝えるための工夫の一つなのです。
どのように悲しいのか、どのように愛しているのか、ということを伝えようとしたら、何か、目に見えるものに譬(たと)えなければなりません。
詩が比喩の文学だといわれるのは、心の中、感情を目に見えるイメージで譬えることで、自分の思いを表しているからです」
誕生日
クリスティーナ・ロセッティ
わたしのこころは、みずみずしい若枝(わかえ)に
巣ごもって歌う小鳥のよう。
わたしのこころは、枝も撓(たわ)まんばかりに
よき果(み)をつけたりんごの木のよう。
わたしのこころは、冬至のころの海凪(うみな)ぎに
水あそびする虹色の貝のよう。
わたしのこころは、それらにもましてうれしいの。
なぜって、人恋うことを知りそめたのですもの。
わたしのためにしつらえてほしいの、絹と羽毛とでできた雛壇を。
そこに飾りたててほしいの、鳩の模様を、ざくろの模様を。
蛇の目ちらしの孔雀の模様を。
そこに細工をちりばめてほしいの、金銀のぶどうのかたちを。
葉をあしらった銀の百合のすがたを。
なぜって、わたしのいのちの誕生日がきたのですもの。
人恋うことを知りそめたのですもの。
斎藤正二 訳
詩人・新川和江は「比喩の詩人」と呼ばれています。詩風は華麗。
「わたしを束ねないで」に代表される高度に洗練された比喩の巧みさ、その多彩で新鮮なポエジーは比類がありません。
以前、私が直接本人にインタビューした際、意外な答が返ってきました。
比喩なしでそのものズバリを書きたい願望は常にあるというのです。だからこそ代表詩集のタイトルが「比喩でなく」なのだと。
さりげない言葉で、絢爛たる比喩を使わず、日常会話のような書き方で、優れた詩ができたら最高だといいます。
でも、人の心は形がないから、何かに譬えなければ形を与えることが出来ない。比喩なしでは情感が単刀直入に入るが、表現が素朴すぎて詩が退屈で貧困になる、と。
詩の彩りを豊富にする点では、比喩に頼る他はない。比喩は楽しさを与える。言い回しの面白さで読者を魅了することもできるのだから。
ただ、比喩も過剰に駆使すると真実味がなくなり、詩が隠れてしまう。
あんまり口がうまい人は真実味がないのと同じで、比喩もあんまり巧言令色すると、詩が隠れるので程々に。功罪は相半ばだ、と。
ロセッティの「誕生日」を例にあげて詩人は語ります。
「心には形も何もないから、恋人の来た喜びを比喩なしで語ろうとすると、語りようがない感じがする。(目に見えぬ情感は)何かに譬えなければ形を与えることができない。その意味で、想像力がなければ比喩は書けない。物を何かに譬えるとは、心に何かを呼び起こす作業だから。
また、比喩は互いに遠くのものを関係づける程、詩の中に距離ができて比喩の持つ効果は大きくなる」
詩に比喩は不可欠です。でも、「一篇の詩中で、やたらに比喩が用いられるのは禁物。比喩の数は適度でないと、うるさくて焦点がぼやけてしまう」(安西均『やさしい詩学』)
◆比喩のランキング
比喩というものは、普通の表現では言い難い自分の気持や事柄にぴったりした言葉を選ぶ表現行為です。
身近な例では、諺や渾名も日常的に比喩を楽しむ行為といえるでしょう。
例えば、冬将軍、薔薇色の人生(ただ最近の薔薇には黒いのも紫もある)、「もみじのような手」もそうです。
ただこれらは、当たり前で驚きがなく、個性もありません。手あかにまみれた比喩 いわゆる〈死比喩〉と呼ばれているものです。
以下に、詩的な密度のランクに応じて分類してみましたので、ご参考までに。
俗喩:決まり文句
高原は招く、駆け足で来る冬、秋の日はつるべ落とし
帰り花(=狂い咲き)、最後の幕を降ろす
濡れ落葉、窓際族、粗大ゴミ(私のこと?)
死比喩:日常語となっているもの。TV・マスコミに頻出。
春の訪れ、冬将軍、風雪に耐える、桜前線、緑の 、薔薇色の人生
師走の声、雪化粧、重箱の隅をほじくる、鍋奉行
元気をもらう、自分さがし、いやしの旅
歌謡比喩: 女の道(大津美子・ここに幸あり)、さそり座の女
(美川憲一・さそり 座の 女)、冬の花(大川栄策・さざんかの宿)
紅の糸(瀬川瑛子・命くれない)
思案橋(青江美奈・長崎ブルース)、恋の奴隷(奥村チヨ・恋
の奴隷) 川の流れのように(美空ひばり・川の流れのように)
●以上、恥ずかしながら私の持ち歌から
詩的歌謡比喩:真綿色した シクラメンほど清(すが)しいものはない
/出逢いの時の君のようです(小椋桂・シクラメンのかほり)
時には母のない子のように/だまって海をみつめていたい(カル
メン=マキ・時には母のない子のように)
季節そむいた 冬のつばめよ/吹雪に打たれりゃ寒かろに(森昌
子・越冬つばめ)
海の色にそまる/ギリシャのワイン/抱かれるたび 素肌
/夕焼けになる(高橋真梨子・桃色吐息)
詩的比喩: 老婦人の夏(=小春日和。欧州)、天使の梯子(はしご)
(=雲間から射し込む光の帯)
天使が通りすぎる(喧噪の中の一瞬の沈黙)、
死の灰(=放射能。やや俗語化)、ひとめぼれ(お米のブランド名)
●新川 和江 茨城県・結城市生。昭和4・4・22〜(1929〜)。
結城高女時代、近郊に疎開中の西条八十に師事。八十の資料作成の助手
を通し、ヴェルレーヌ、リルケ等泰西詩人を知る。17歳で結婚後、少女
・児童雑誌に小説・詩を連載。詩誌「地球」に参加。日本現代詩人会理
事長(1981年)、女性主体の詩誌「ラ・メール」創刊(1983年)。
参考文献・『新川和江詩集』思潮社現代詩文庫、処女詩集「睡り椅子」(昭28)
「季節の花詩集」(昭35・小学館文学賞)、「ローマの秋・その他」(昭40
・室生犀星賞)、「はたはたと頁がめくれ……」(平成11・藤村記念歴程賞)
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