詩に初めてふれる人に・・


                第2話
           詩はイメージで考える


◆言葉の調理法

詩人・安西均は著書『やさしい詩学』(社会思想社刊・現代教養文庫)で、詩に果たすイメージを力説しています。
「私たちは、詩を書く場合、イメージのはっきりした詩を書きたいものです。読むひとの心に、その形がくっきり浮かびあがるような言葉で書きたいものです。
しかも、くっきり浮かびあがるだけでなく、読んだひとに一種の興奮というか喜びというか、そういう感動をあたえるようなイメージでありたいものです。そういうイメージを作るためには、やはり一所懸命に言葉の工夫をしなければならない。(中略)一匹の魚、一本の大根にも、それ自体のおいしさがあります。
しかし私たちは、もっと違ったうまさを工夫して、食べるということの喜びと滋養を増そうとするではありませんか。そのように、言葉も料理法を工夫して下さい。言葉は詩の材料ですから、これは料理しなければ、味も滋養も増さないものです。料理に何の遠慮がいりましょう。」
詩のテーマは一般に情感的なものが多いので、イメージ表現がさかんですが、散文的な表現に陥りやすくなるのが、人生論的なテーマを作品化した場合です。

◆イメージで思索する

人生観を語る場合、ついつい自分の考えをそのまま観念的・抽象的表現で綴るために、まるで評論か論文のような堅苦しい文章になってしまうことですね。
芸術とは堅苦しいことを書くのではなく、人に陶酔感を与えるものではないでしょうか。
これは詩の世界に限らず、他の世界でも同様です。
「人に正しく生きなさい、というのは誰もが言って来たこと。それを童話のキツネの譬えや、キリストの比喩、親鸞などの説法は具体的にわかりやすく表現した。彼ら以前の宗教は堅苦しいことばかり言っていた」と、ある詩人が指摘しています。
私たちは自分の考えを具体的に、味わい深く、詩的イメージを駆使して語りたいものです。
私にとって、そのお手本ともいうべき詩人に、ハリール・ジブラーンがいます。


     愛について      ハリール・ジブラーン

   愛があなたを招く時は、愛に従いなさい。
    たとえその道が、苦しく険しくとも。
   愛の翼があなたを包む時は、愛に身を
    任せなさい。たとえ羽交
(はが)いに
    隠された愛の剣
(つるぎ)が、あなた
    を傷つけるようになろうとも。
   愛があなたに語りかける時は、愛を信
    じなさい。たとえ北風が花園を荒ら
    すように、その声があなたの夢を砕
    くようになろうとも。
   愛は、あなたに王冠をいただかせると
    共に、あなたを十字に架
(は)りつけ
    るもの。
   愛とは、あなたを育むと共に
、刈り込
    むもの。
   愛とは、あなたの高みに登り、陽
(ひ)
     
に震えるいと柔かなる枝を愛撫する
      
ごとく
   あなたの根元に降りて、地にしがみつこうとするその根を揺さぶるもの。
   愛は、麦束のように、あなたと愛を一つにする。
   愛は、あなたをむち打って、もみのように裸にする。
   愛は、あなたをふるいにかけ、殻から抜け出させる。
   愛は、あなたをこね回し、しなやかにする。
   このようにして、愛は、あなたを聖なる火の上に置き、あなたは神の
    聖なる宴の、聖なる糧になる。
   これらすべては、愛の業
(わざ)。そしてあなたは自分の心情(こころ)
     
の秘奥を知り、そこで知りえたことは、大いなる生命(いのち)
    一部となる。
   しかし、怖れの故に、愛の平安
(やすらぎ)と快楽(けらく)のみを求め
    ようとするならば、その裸身をおおって、愛のむち打つもみ床から
    去るほうがよい。
   愛は、愛自身を充たすほかに、なんの欲も持ってはいない。
   しかし、愛し、欲望があるならば、
   次のことを欲望とせよ。
   一つに融け、その旋律
(うた)を夜に向かって唱(うた)い、流れる小
    川のようになることを。
   あまりにも優しいことの苦しみを知ることを。
   愛を理解
(し)ることによって傷つくことを。
   そして、快く、喜びのうちに血を流すことを。
   翼もて飛び立つ心で明け方に目覚め、愛の新たなる日を感謝するこ
    とを。
   昼は、愛に憩い、愛の喜悦
(よろこび)を深く想うことを。
   夕べは、感謝の心で家路につくことを。
   そして、心にある愛する者のために祈り、唇に讚美の歌を口ずさん
    で眠りに就くことを。

                    詩集『予言者』小林 薫訳

◆祖国を追われた詩人

ハリール・ジブラーン(KAHLIL GIBRAN 1883ー1931)は、レバノンの詩人。
主著『予言者』(1923年刊)は、30カ国語以上に翻訳され、世界的規模で愛読されています。
日本では残念ながら訳書はわずかでほとんど知られていません。私は大学の講義で米国人教師から紹介されて、その存在を知りました。
ジブラーンはカトリック司祭の名門の家に生まれましたが、彼の小説が反国家的とみなされ、教会からも破門さ
れて祖国追放となりました。
29歳から米国に永住。35歳で渡仏し、彫刻家ロダンの許で3年学びました。
その影響からか、彼の著作にはあまたの自筆画が挿入されていますが、いずれも裸形の人体を組み合わせた夢幻的な作風です。
生来病気がちで、48歳の壮年の盛り、ニューヨークで病没しています。
                           
(この項3話へ続く)


2006年
 1話