名詩100選・・
雨の日の花
高田 敏子
雨がふっている
花は咲いている
花の上に落ちる雨
悲しんでいるのは
雨だった
花をよけて
雨はふることはできない
花は咲いている
雨の心をいたわり うけとめて
花びらに 花の心を光らせて
花は 咲いている
◇ ◆ ◇
恥ずかしい話ですが、初めてこの作品に出会った時、私は内容を理解できず、読み過ごしてしまいました。
その価値を知ったのは、ずっと後に師である作者本人から解説してもらったからです。
作品の舞台はお花見時分。恨みの雨に花が散っています。
あでやかな花びらを散らされて、花は残念に思っているだろう。と思いきや、作者はこう言います。〈悲しんでいるのは/雨だった〉。
悲しんでいるのが花ではなく、雨だったという所が、この詩を読み解くポイントになるでしょう。
花と雨の関係で考えると、わかりにくいので、大げさな言い方ですが、〈加害者〉と〈被害者〉という捉え方をしてみます。
〈散らす者〉と〈散らされる者〉。言い換えれば、辛くあたる側と、あたられる側。叱る者と叱られる者。先生と生徒、親と子、上司と部下と置き換えて考えてみてもよいでしょう。
私も一時期、教師の立場に身を置いたことがあります。
生徒を叱ったこともあります。でも、それは生徒が憎くて叱ったのではなく、相手のことを考えて、立場上、叱らざるを得なかったという気持ちでした。
親ともなれば、子を叱ります。その子の将来のことを思って叱ります。
時には、感情に任せて子供にあたってしまうこともありますが、叱られる方も、相手が自分のことを思って叱っているのか、憎しみで叱っているのかは自然にわかるものです。
この作品は、愛情を持って相手を叱ったり、指導したりする側の心の内を描いています。
人を叱るのは後味が悪いものです。でも、その辛い気持ちを抑えて、時には心を鬼にして叱責することもあります。
私はここまで教育に譬(たと)えて解説してきましたが、患者に辛い病名を宣告する医師の立場を考えてもいいでしょう。
自分の意思に反して、相手に厳しい対応をしなければならないすべての場合にあてはまる詩だと思います。
雨はまっすぐにしか落ちません。ごく当たり前の話ですが、自分が雨の立場に身をおけば、誰だって花をよけることはできないのです。
そんな雨の辛く、悲しい思いを、花にわかってほしい。〈雨の心をいたわり うけとめて〉ほしい 厳しく当たる側の複雑な心理をうたっています。
この作品には、師との懐かしい思い出があります。
学生の頃、私の郷里の広島に先生を迎えた集いが開かれました。
ちょうど花の時分で、花びらが雨に打たれていました。私は古里で先生と共に過ごす喜びに心を奪われ、花には目もくれませんでした。
でも、師は人知れず詩想を練っていて、その時、「雨の日の花」は生まれたのでした。
「雨の日の花」は、花と雨の関係だけを描いているので、花や雨について細かく描写する必要はない。
師からじかに聞いた詩作の鍵を、私は今も大切に心にしまっています。
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