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初めて詩を書く人への教室
2000年の秋、父を介護するために、私は東京から郷里の広島に引き上げました。
しばらくして地元のカルチャーセンターで、詩の教室を開きました。現在、教室は2カ所。ふたつの教室をあわせて10名近い方たちが通っています。
これから教室を増やしていき、1教室10人を目安に10教室を開講して100人の詩人を育てたいと、途方もない夢を見ながら、詩が広がることに努めています。
どこのカルチャーセンターも、詩の教室はとっても数が少ないのが実情です。
でも、初めての方を対象にした詩作教室は稀少価値があるのかな、と思って日々、自分をはげましています。
詩が涙をぬぐってくれる
国木田独歩賞を受賞した平本美津枝さんは、私が詩の教室を開いた時からのおつきあいです。山口県柳井市から高速バスに乗る遠路を、皆勤の熱心さで通っておられます。また、同じ柳井市にお住まいの福本八重さんと連れだっておいでになられることもあります。
福本八重さんも、同じコンクールに応募されたのですが、残念ながら入賞は逸しました。ただ、詩部門への応募者の中では最高齢であったと、審査資料に記載されていて、私は誇らしく思ったことでした。
このお二人はまるで実の親子のように仲むつまじく、教室の大切なムードメーカーとして、仲間の方たちにとっても大きな存在でもあります。
平本さんは、ご主人を亡くされたことを契機に詩を始められました。
亡夫への追悼詩も多く、朗読の折は皆さんが聞き入っている姿を見ることもあります。
詩が生きる力を与える
広島市短詩型文芸大会で、市教育長賞を受賞した藤川和子さんはご主人を病気で亡くされています。かけがえのない存在を失った痛手から、愛傷の日々を送っていました。
その時、私の詩の教室を知り、詩を書くことが生きがいとなって、もとの明るさを取り戻されたと語られます。
受賞作「留守電」は、ご主人の最後の声となった留守電のメッセージを、今も消去できない哀しみが切々と綴られています。藤川さんは記念となる作品が受賞したことで、辛い哀しみを浄化できたとおっしゃっていました。
●ひとことガイド
作 品
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作 者
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福本 八重
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平本 美津枝
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藤川 和子
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