DIARY
7月22日(日) ♪心もようは殿下日和♪
中原中也記念館館長の福田百合子さんの講演を山口市で聴く機会がありました。無料でしたが、広島から新幹線を乗り継いで行くと、往復1万円かかります。言わば、1万円を払って聴講したようなものですが、足を運んだ甲斐がありました。中でも興味深いエピソードがありました。

                      中原中也の墓所にある案内板

皇太子殿下が中也記念館を視察された折、福田館長がご案内していると、中也の生家の写真の前で足を止められました。中也の生家は個人病院ですが、今で言えば総合病院に匹敵するほどの大規模なものでした。
殿下は、「中也の『骨』という作品がありますが、生家が病院だったので、中也にとって骨という題材は親しみがあったのかも知れませんね」とおっしゃったそうです。
福田館長は、殿下が思いよらぬ独創的な意見を述べられたので、びっくりしました。その後、記念館隣りにある中也の詩碑も訪れられました。この詩碑には中也の『帰郷』という作品が刻まれています。その一節に〈山では枯れ木も息を吐く〉という章句があります。中也は、〈息を吐く〉を〈息を吐
(つ)く〉と特殊な読み方をしています。
殿下は、詩碑をご覧になって、「ああ、これが、山では枯れ木も息をつく、という一節がある詩なんですね」とおっしゃいました。
中也の詩に精通していなければ、絶対に読めない読み方を殿下はご存じでした。福田館長は、あらためて殿下の詩的教養の深さに感動し、敬愛の念を強くしたそうでした。
私もこのような方が日本の皇族であることを誇りにしてもよいと思ったことでした。



中也は春と夏には帰省していました。郷里山口にあっては東京を想い、東京にあっては古里を偲んでいました。だから、中也の詩には、常に古里と東京の風景が交互に現れるのだと、福田さんは語ります。それが中也の詩を読み解く鍵でもあるのだと。代表作『帰郷』『朝の歌』には、この特徴が色濃く出ているようです。
    
中也の墓所近くに咲いていた野花


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