DIARY
9月7日(金) ♪心もようは薄曇り♪
7月からスタートした中原中也特別講座はおかげさまで無事終わりました。"無事"とは言っても、中也の波瀾万丈の人生を追っかけるのが精一杯。〈中原中也を読む〉という看板に照らしてみると、紹介作品数が十分でなかった恨みが残りました。
それで受講して下さった皆さんに、今度は中也の作品を精読する会を私的に開きたいと呼びかけた所、温かい賛同を得ることができました。
何回続けられるかわかりませんが、月1回、有志の方達と、また中也の詩を読む機会が与えられて、詩に結ばれた縁のありがたさを噛み締めています。
                                  18歳頃の中也

中也ほど、詩から受ける印象と、生身の姿が異なる人物はいません。
私も、代表作や、帽子をかぶった有名な肖像写真を通して、寡黙で繊細な人物像を想像していました。しかし、資料を調べれば調べるほど、私の思いは見事に裏切られました。

中也の友人で、文芸評論家の河上徹太郎は、「全集だけを読んで、好きなだけ中也を愛せる人がうらやましい」と語っています。

ここからは、中也ファンの方には申し訳ないのですが、そのすさまじい生活の一端をひと言でくくれば  寂しがりやで、大酒飲んで、けんかふっかけて、人の作品をけなして、人に絡むのが趣味で、一生働かずに親の仕送りで、生きたいように生きたのでした。そのあたりの具体的で細かいことは、他のメニュー〈詩の教室〉内にある中原中也の記事を参照していただきたいと思います。

しかし、その奇行、酒乱というマイナス部分を差し引いても、中也のすばらしさが厳然と輝いています。それは、中也ほど"詩人の生き方"
というものを自覚し、現実に行動した詩人はいないからです。

中也はすでに15歳の時に、詩を一生の仕事にすると決意しました。この早熟ぶりには驚かされます。私は、詩作に携わって、もう30年近くになりますが、詩を一生の仕事にするという覚悟が本当にあるのかと、今も忸怩たる思いがあります。

中也は、いつも黒のお釜帽子、黒いシャツに黒いネクタイ、ダブダブの黒いズホンに黒いマントという、当時の者から見れば、この世のものとは思えないような服装で東京中を闊歩していました。自分が最も敬愛するフランスの詩人、アルチュール・ランボーの生まれ変わりと信じて、ランボーと同じ服装をまねたのでした。世間からどのように奇異な目で見られても、意に介しませんでした。

「詩人とは自分自身であった人のことだ」とも言っています。
〈自分自身〉とは詩人として忠実に生きる自分、という意味でしょう。
相手が先輩であれ、高名な文学者であれ、中也は臆することなく意見を直言しました。そのため、多くの文学仲間から煙たがられ、常に孤立していました。彼が酒席で大いに乱れたのも、詩人として誠実に生きた証
(あかし)だと思えば、うなづけるものがあるのです。


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