鑑賞は経験・・
介護が教えたもの

詩は経験から生まれるとリルケはいいました。
同じように、詩の鑑賞も経験から生まれると私は思います。
肉親を介護した経験から、リルケの「秋」に対する私の解釈は変貌しました。

私は今まで、〈この手も落ちる〉の解釈を、挫折を暗示する比喩的なイメージとして捉えていました。
しかし、父が病いに伏した時、この言葉は現実をありのままに描写していることに思いあたりました。

人は病床に伏してわずか数カ月で、手足の筋肉が驚くほど消滅していきます。
最初は寝返りがうてた父は、ひと月でそれがままならなくなりました。ふた月で湯のみを持つことさえ困難となりました。
まさしく、現実の映像として「手は落ちる」のです。

父の病室の隣りから、時に苦痛の叫びをあげる重態の老いた患者がいました。
あれは、〈 否
(いや)、否 、という身ぶりで〉落ちていく枯れ葉の断末魔なのでしょう。
介護する眼から眺めた「秋」には、かくも深い現実の凄絶さが透けて見えます。

答えのない問い

リルケの唯一の小説である「マルテの手記」(岩波文庫)の訳者である、望月市恵
(もちづき・いちえ)博士は高田敏子主宰詩誌『野火』に寄稿しています。

「マルテの手記」を書かせたパリへ、リルケが行ったのは1902年であって、リルケが住んだアパートは病院にかこまれていた。そこで見たパリの町の苦悩と死とにみちた姿は、リルケの心に黒い刺のように刺さりこんで、「両手にとどめている者がある。(望月市恵訳)」というような慰めを否定してしまった。人生が刺のように刺さりこんでいるのに、どうしたら生きつづけられよう。リルケの仕事はすべてこの問題をめぐっていて、ついに死ぬ日までその問題に答えは与えられなかったといえよう。

家族の介護、身近な者の突然の事故死。この世には、人の手が受け止めるには、あまりにも重く辛い現実があります。
最終行の意味するものは、人に代わって、悲しみを受け止めてくれる、大いなる者がいるという恩寵の喜びとは違うように思います。
人の手には重すぎる苦痛を、もし、受け止められる者がいるとすれば、もうそれは神のような存在しか他にないのだ、という絶望の悲鳴かも知れません。

私は介護の経験により「秋」への詩観が変わりました。
「詩は経験から生まれる」とリルケは言います。これに習えば詩の理解も経験から生まれる、というべきなのでしょう。

     
R・M・リルケ 1875・12・4〜1926・12・29)。チェコの首都、
       プラハ生。薔薇の刺による傷の化膿から急性白血病を発症し、51歳で死去。
       トルストイ、ロダンから多大な影響を受ける。ロマン・ロラン、マルセル・
       プルースト、アンドレ・ジッド、ヴァレリーと交友。代表作に『形象詩集』、
      『新詩集』、『ドゥイノーの悲歌』、小説『マルテの手記』