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落葉の意味
詩は情感を書く。
一般にそう思われているため、詩作で陥りやすいのが、感情過多。思い入れが強くてセンチメンタルになり、自分の情感に酔い感傷に溺れることがあります。
また、普段、詩に触れることのない人から見れば、詩とはセンチメンタル・感傷的という言葉と同じ意味で受け取られていることがよくあります。
私も詩を書き始めた頃、詩に対する考えに迷っていました。その時、目から鱗の思いがしたのが、リルケの詩との出逢いでした。
秋 R・M・リルケ
木の葉が散る、散る、遠いところから落ちてくるみたいに、
大空のなかで遠い庭がいくつも枯れたみたいに。
否(いや)、否 、という身ぶりで
木の葉は舞い落ちてくる。
そして夜々には 重い地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる。
われわれはみんな落ちる。この手も落ちる。
ほかのひとたちを見つめてみよ、落下はすべてにあるのだ。
だが この落下を 限りなくやさしく
その両手にうけとめる一人のかたがいますのだ。
『形象詩集』1902年 秋山英夫訳
意味と蜜をあつめる
リルケの代表作「秋」はリルケが結婚後、27歳で単身パリへ赴いた1902年の秋に作られました。
同時期、日本は明治35年。前年には与謝野晶子が歌集『みだれ髪』を出しています。
リルケの自伝的小説『マルテの手記』で主人公は独白します。
「若くて詩なんか書いたって始まらぬ。本当は待つべきものなのだ。一生涯かかって、しかもできたら年老いるまでの長い一生をかけて、意味と蜜を集めるべきものなのだ。そして、そのあげくにやっと、十行ぐらいのいい詩が書けることになるかも知れぬ。
というのは、詩は一般に人々がそう思っているように、感情ではないからだ(感情なら、どんなに若くても持てる) 詩は感情ではなくて経験である。
一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。さまざまな思い出を持たなければならない。だが、思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多いときには、それを忘れることが出来なければならぬ。ふたたびそれが蘇ってくるのを待つだけの大きな忍耐が必要なのだ。」
発見の詩
リルケは詩は感情ではなく経験であると断言します。
私たちは幾度、木の葉が舞い散る様を見たでしょうか。
おそらく数え切れないほど同じ光景を目にしているはずです。ところが、落葉の意味を追求して詩を生み出すことはほとんどありません。
それは自分の中で、経験が十分に熟成しておらず、詩の言葉が生まれるには、まだ時間が足りないからです。
感情の詩であれば、木の葉が落ちるのを眺めて、うら淋しさを感じ、寂寥感を表現するでしょう。
リルケの態度は違います。枯葉が散る風情・感慨をうたうのではなく、物の姿の奥に隠された意味 万象を貫く真理を追求しています。
経験の詩とは、発見の詩と言ってもいいでしょう。
人生の落下
リルケは木の葉の散る姿から、〈落下はすべてにあるのだ〉という発見をしました。
落下とはなんでしょう。
生ある限り、様々な不幸が私たちを襲います。受験失敗から失恋、会社の倒産など、人生にはあまたの落とし穴が口を開けています。
これらの失敗・挫折をリルケは〈落下〉と呼びました。
でも、リルケは絶望していません。いやだ、いやだと言いながら落ちていく、人間の失墜をやさしく、いつまでも、受け止めてくれる存在がいるというのです。
原文は「Einer 」(ドイツ語で一人の者の意)。大文字の表記は「大いなる者」との意味でしょう。リルケは神と明記していません。私はここに軽々しく〈神〉という言葉を使わない叡慮を感じます。
ロダンとの邂逅
リルケはパリで彫刻家ロダンに師事しました。彼がロダンから学んだのは三つ。○芸術家は生活の幸福を断念し、自分の道のために生きる○霊感(インスピレーション)に頼らず、常に仕事をしなければならない○仕事とは絶え間なく職人のように手仕事を続け、技術を磨くこと。
ロダンに接する中で、リルケの詩観も変わりました。
物を見る態度です。リルケが目指したのは、視覚を通して受け取ったものを言葉を使って彫刻のように作品を完成させることでした。
普通、私たちの見方は物の表面をなぞっただけで満足しています。現実の世界で目に映るものは氷山の一角にすぎず、背後には物の本質が隠れています。
リルケが願った経験の詩とは、感情のように流れ去るはかないものでなく、彫刻のような不動の発見の詩でした。
参考文献・秋山英夫訳編『美しき人生のために リルケの言葉』
社会思想社教養文庫(絶版)
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