松岡 美峰子
夜更け ぬか床の蓋をあける
指を二、三度沈める
今日もきゅうりを三本
母が漬けたことを確かめる
そのまま蓋をして灯(あか)りを消す
翌朝叱られるが
指の跡があることは聞かれない
今年の冬 父が逝き 哀しみを忘れようとして
昼に食べたもの きのうの天気
食事に欠かしたことのないぬか漬けさえも
きれいさっぱり忘れている
もう母に叱られることのない その日が来ても
ぬか床をまぜる私の手は感じるだろう
母の手が重ねられるぬくもりを
◇ ◆ ◇
暮らしに根ざした女性の作品には、男性には追随できぬ生活実感がこもっています。
「ぬか床」を通して無言の内に触れ合う母子の情愛。ぬか床とは野菜を熟成させるものです。母の慈しみの手も、子への愛情を熟成させる「ぬか床」のような働きを持っています。愛情という抽象物を触感で描くイメージの妙でしょう。