心の自分史をつづる・・
水色の蝶
松岡 美峰子
母の形見の水色の扇子には
一匹の蝶が眠っている
目をさますのは短い夏の間だけ
扇子をそよがせると
蝶もひらりひらりと翅
(はね)
をひるがえす
夕暮れのプラットホーム
仕事帰りの人々が汗をふきながら
電車を待っている
ある人は早く帰って
シャワーを浴びたいと思う
ある人はビールを飲みたいと思う
私はバッグの中から水色の扇子をとりだし
小さく揺らしてみる
むし暑いタクシーの中で
母は扇子を開き仄かな風を送ってくれた
思いがけないほどの涼しさ
「そうよ だからいつも持っているのよ」
笑って言った
あなたがいなくなって
本当にひとりになりました
でも扇子を開くと今も隣に母がいる
母の声が聞こえる
「いつも持っているのよ」
ひらりひらりと心をなでてくれる
水色の蝶が飛ぶ
◇ ◆ ◇
作者から
去年の夏地下鉄の中で、私の前の座席にすわっている年配の女性が静かに扇子を揺らしていました。
車内の冷房は適当で扇子を使う必要もない感じでしたが、ご本人はとても気持ちよさそうでした。その時扇子の動きはとても優雅で、まるで揚羽蝶のようだと思ったのが、この詩ができるきっかけでした。
私の母は夏になると必ずバッグの中に扇子を入れていました。
病院の待合室やタクシーの中など冷房があまり効かない場所や、陽射しが眩しい時顔に翳
(かざ)
したり。水色の扇子はずいぶん前に姉が贈ったもので、実際は桔梗や薄
(すすき)
などが描かれています。
いつも穏やかで人を悪く言うことはほとんどなかった母は、5年前に他界しました。父が逝って3年目の冬でした。
私がいつも乗り降りする地下鉄の駅の構内にあるミニ・ギャラリーに「水色の蝶」の展示を思いついたのは2か月前。
ふだんは絵手紙や俳句などですが、ほっとする内容の短詩なら読みやすい思ったのです。早速駅の事務所に申し込み、9月末から10月初めの2週間使わせていただくことになりました。
東京・新宿教室の紺野先生に展示の方法などご指導いただき、また期間中に先生始め教室の方たちが見に来て下さいました。
私の一歩はなかなか進まないのですが、今回のこのことは一生懸命書いた水色の蝶が手招きしてくれたように思います。