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睡眠酒のなかに香料を溶かすよう、
水と澄む鏡のなかにそっと彼女は
ものうげな姿態を溶かしこみ、
そのほほえみもそっくり入れた。
そして待つ、液体が中からみなぎってくるのを。
そこで匂やかな髪を鏡のなかに注ぎこむと
すばらしい肩をあらわに
夜会服からそびやかし、
ひそやかにわれとわが像(すがた)を掬(く)んでのむ。
彼女はのむ、
恋に酔う男が夢見心地にのむものを、
一口ずつ味わいながら、信じきれずに… ややあって
われに返り、彼女は侍女をさしまねく。
鏡の底にみとめたのだ、灯火(ともしび)を、衣裳戸棚を、
いつしか忍び寄っていた夕闇を。
河邨文一郎 訳
◇ ◆ ◇
「鏡の前の貴婦人」は、青年リルケがパリの彫刻家ロダンの館に寄寓し、巨匠の深い影響を受けて新たな詩観を形づくっていた頃の作品です。
新しい詩とは、まるで彫刻のように、対象を言葉によって即物的に再生するものでした。
この作品は一見、女性美の讃歌と思えますが、実は女性の自己陶酔(ナルシシズム)を冷徹な精神で描き切っています。
リルケは鏡に身を〈写す〉という一般的な表現をとらず、鏡を美酒を満たした器の表面のような存在と捉えています。そこから「水」あるいは「酒」に即したイメージ・コーディネートをほどこしました。
作者が普通の言い方をどう変えたか、チェックしてみれば次のようになるでしょう。
(鏡に)写す→溶かし込み/注ぎ込む
見とれる→掬んでのむ/一口ずつ味わいながら
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