比良のシャクナゲ 井上 靖 むかし「写真画報」という雑誌で比良のシャクナゲの写真を みたことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部 が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高く白い高山植物の 群落が、その急峻な斜面を美しくおおっていた。 その写真を見た時、私はいつか自分が、人の世の生活の疲労 と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の 稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道にゆられ、この美 しい山巓(さんてん)の一角に辿りつく日があるであろうこと を、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤独の日、必 ずや自分はこの山に登るであろうと 。 それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比良の シャクナゲを知らない。忘れていたわけではない。年々歳々、 その高い峰の白い花を瞼に描く機会は私に多くなっている。 ただあの比良の峰の頂き、香り高い花の群落のもとで、星に 顔を向けて眠る己が睡りを想うと、その時の自分の姿の持つ、 幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなもの に触れると、なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独 も、なお猥雑なくだらぬものに思えてくるのであった。 詩集『北国』1958年刊 ◆◇◆ 井上靖は詩集『北国』の後書きに、小説家としてデビューする前の約20年間、50篇の詩を生み出したと語っています。 欧米では小説家となる前に詩を書くのが一般的ですが、日本では数少ない例でしょう。 この種の小説家としては、島崎藤村、室生犀星、他に伊藤桂一(戦記文学・直木賞)、清岡卓行(芥川賞)などが挙げられます。 石楠花(シャクナゲ)は高山種の花木で渓谷に自生しています。新緑の季節に、ツツジに似た大形の花を枝先に咲かせます。 作者は写真で見た、孤高に咲く花の清浄無垢な白さが目に焼きつきます。そして〈絶望と孤独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと〉心に誓います。が、その時が現実に到来しても足は山に向かいませんでした。その理由は作中では述べられてはいません。 おそらく、石楠花の群落地帯は作者にとって立ち入ってはならない「聖域」のようなものだったのでしょう。 高貴な花々に囲まれた清浄な哀しみを、遠く猥雑な下界から想像することで、〈人の世の生活の疲労と悲しみ〉に疲弊した心を清め この世の絶望も孤独も空無なものとして 自分を慰撫していたのかも知れません。 この「比良のシャクナゲ」のように井上靖の詩学は、花、星など自然美が象徴するような、永遠的なものに触れた時に感じる、人間というものの卑小さ、憂愁の思いを特徴としています。 これは私たちも日常で経験のあることでしょう。 高層ビルから街並みを見下ろして、人の営みの空しさや哀しみを感じる時。 星を見上げて自分の悩みのちっぽけなありようを思う時。 井上靖は自らの散文詩を「詩の保存器」と呼んでいます。自作は「詩」ではなく、詩が逃げないように閉じ込めた小さい箱にすぎないと。 この謙譲な言葉とは裏腹に、清冽な詩情を高度な散文詩に結晶させた構成力は、作者の卓抜な才気を感じさせます。 井上靖の小説には、詩のモチーフを発展させたもの、また詩作品と同名のものが多く、引き比べて読むと詩と小説の関係について一層興味深い発見があります。 ●井上 靖(1907〜1991)北海道旭川市生。小説『闘牛』(芥川賞)、『氷壁』、 『天平の甍』(芸術選奨)。詩集『地中海』、詩集『遠征路』他多数。 ●掲載写真は「森林総合研究所九州支所」(http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/) から転載させていただいています。