詩は"思いっこ"のゲーム・・



        ハンカチのうた
               坂本 明子



        すぐ目の前で落とされた
        絹のハンカチ
        はなびらのように舗道に散るのを
        拾いたいと 私は思った
        落とした少女をよびとめて
        返してあげたいとつよく思った
        けだるい春の
        混みあう街角で
        車椅子からのばした手先はすこし遠く
        もどかしいとき
        かけよった別の少女の
        すばやく動いた指先で
        ハンカチはふわりと掬われた
        私の膝にのせられた
        ああ よかったというふうに笑って
        人混みにまぎれていってしまった
        一瞬のうちに終って
        持ち主ではないという暇もなく
        ありがとうと声で追うのも気はずかしい
        胸の奥では
        ほんとうは私自身が拾いたかったと呟いているのを
        だれに聞かせるすべもない
        ものを拾ってあげるのは
        とても気持がよさそうだ
        いつか一度は私も経験したいのだが
        いま そのときかと息はずませが
        違ったらしく
        戸惑いの目のうらの
        さわやかな微笑
        うけとめるよりほかにない
        ハンカチは捨てられもせず
        私のものにもなりきらず
        そのまま手提げ袋の底で
        やわらかな蕾をつけた薔薇になる
        交錯した心の形そのままに
        ちょっと曇った いろになる


                
◇ ◆ ◇


この作品は肢体不自由児・者の支援団体の機関誌『手をつなぐ親たち』1982年2月1日号に掲載されていました。
当時、私は障害者関係の公益団体に勤務しており、広報担当でした。
仕事柄、連日多くの関係機関・障害者団体から機関誌が送られてきます。このような会報の中で、文芸記事の投稿蘭で見つけました。

作者は車椅子の重度障害者。
偶然、足許に人のハンカチが落ちますが、身体の不自由さのため、すばやく拾うことができません。すると、作者が落としたと勘違いした少女が親切に拾って膝に乗せてくれます。
本人と間違われ、拾われてしまった戸惑い。
〈持ち主ではないという暇もなく/ありがとうと声で追うのも気はずかしい/胸の奥では/ほんとうは私自身が拾いたかったと呟いているのを/だれに聞かせるすべもない〉

作者は、拾ってくれた少女に抗議をすることなく、屈折した心理をありのままに綴っています。その姿勢が、障害者・健常者の枠を越えた人間的な共感を読者に与えます。
もし、作者がハンカチを拾ってくれた少女に少しでも恨み言をもらしたら、この詩は障害者対健常者の問題という狭い内容となったことでしょう。また、作者が障害者ゆえに、過剰な同情を読者から受けるだけに終ったと思います。

作品のテーマは障害者問題ではありません。たまたま障害者だった作者の手による、交錯した人間心理がテーマです。
詩作で「薔薇」を扱えば、ロマンティクな情感を表現するのが一般です。
でも、この詩では薔薇の深い襞のありようが、屈折した心理の比喩として使われています。

こんな例をプロの作品を通じても、私はいまだ知りません。
よい詩とは言葉の無限の可能性を示すものとつくづく思います。そして、ハンカチの薔薇を紅色とうたったところに、作者の乙女らしい、初々しい恥じらいを感じてしまうのです。