雪の朝




      
眉のあたりを見守られているけはいを感じて
      ふと瞳をみひらく
      夜の明けぎわの目ざめ  母はまだ眠っている
      障子がいつもより透き入るように明るい
      枕元の白磁の水差しが 半面を藍色に翳
(かげ)らせて
      幻のように浮き立っている

      細目に障子をすべらせる
      蒼みを帯びた光の層が縁先に静まっている
      物の遠さも近さもない 明暗のゆらめき
      見つめていると まぶたの裏まで
      底のない輝きの深みに溶けていく恐れに
      眼をとじる

      大気のこだまする不思議な静けさ
      あまりの静けさに 耳の奥が流れ出そうになり
      凍てた耳を枕に押しあてる
      息をつめても まじかに臥す母の寝息も聞こえない
      一人目ざめていることの冷たさが 胸に澄みとおり
      神経をつらぬいて こめかみを痛くする

      母のまなじりは動かない
      まつ毛がうす紫の影を落とす横顔は
      見知らぬ人の霊がこもるように
      遠い
                       
詩集『アンコール』


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この作品は恩師の高田敏子が精緻な評辞を書いていますのでご紹介します。

「幼い日の記憶、この詩のよさは、その細やかな情景描写、その心理の
描写。過去の記憶をよみがえらせて現在形でまとめているところにあります。
もし過去形で書かれていたらたぶんつまらない説明的なものになっていたでし
ょう。そして現在形であることは、作者はいまも、その世界にしばしばもどってゆくいうことでもあるのでしょう。
この詩から、私も、母と田舎の伯母の家に泊った朝のことが思われました。早朝目覚めて、薄明りの中で見る天井板も、ふすまも、普段見馴れた家とは違う不思議な感覚、傍で母は寝息をたてていて、その唇に触りたい思いをこらえている。母が母であって知らない人のような。私は今も旅先の宿で目覚めたとき、その幼い日に似た思いを持つのです。
また、夜中に降った雪の明るさが私を目覚めさせることもあって、この詩のはじめの〈眉のあたりを見守られているけはいを感じて〉は、そのことではないかと思われました」

母の里は広島市西郊「古江
(ふるえ) 」という、地名の響きの通りの穏やかな里山にありました。現在、そこは高速道路が走り、原型もとどめぬほど新興住宅地として巨大なマンション群が建ち並ぶ一角に変貌しています。しかし、夢の中だけは幼い日に見た風光がいつもよみがえります。