金星のように




          泉に沈む水晶のかけらが
          水際近く光っても
          決して気づかれないように
          あなたの横顔を見つめる私の瞳のなかに
          澄んだ願いを沈ませておきたい

          ゲレンデを見下ろす山荘の窓辺で
          あなたと向かいあう遠いひと時
          たとえ報われぬとしてもあなたの未来への祈りに
          なおも澄みとおる深さを宿せるなら

          透きいるあなたのまなざしに
          私はすべてを明かすだろう
          一つの言葉を待つ私の瞳に
          育んだ願いを静かに輝かせるだろう

          冬の日の終り
          おだやかな光のさざなみが遠のいたあと
          夕空の岸辺に初めて姿を現す
          金星のように 金星のように
                            
詩集『アンコール』


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師である選者・安西均の言葉があるので紹介させて下さい。

・・「泉」をはじめ「水晶の玉」「水際」「澄み切った願い」といったことばが、いずれも透明感をもっている。
しかし「泉に沈められた水晶の玉」というのは現実にはないもので、作者の想像の世界にだけ存在するものだろう。
こういう非現実的なイメージは、悪くすると〈詩らしく〉するために、わざとこしらえた感じの一行になりかねない。薄紙いちまいくらいの危ういところで、そうなりかねないのである。そこに詩における比喩のずむかしさがあることも、注意してもらいたい。
この詩は第4連・5連でぐんと密度を増す感じがする。第4連の「そして一つの言葉を待つ私の瞳に/育
(はぐく)んだ願いを静かに輝かせるだろう」の2行とが、みごとに照応しているからだ。
とくに「夕空の岸辺」というイメージはすばらしい。これは言うまでもなく、前の行にある「光のさざ波」と関連しており、夕方の川岸とか湖岸ではなく、夕空そのものを広い湖か海にたとえて、その端のほう(岸辺)に金星が姿を現わす、と言っているのである。
最初の「泉」「水晶の玉」そのほか透明感を帯びた〈水のイメージ〉が、ここで一挙に収斂
(しゅうれん)されているわけだ。        安西均『詩のカレンダー』牧羊社