復元した中也の帽子。角川学芸出版提供。
坊ちゃんのようだけど、
お嬢さんのような髪を長うした人が
おいででしたが、
あれはどなたでございましたか 〈近所の言〉
中也は上京後、夏と冬には帰省していました。しかし、その出で立ちは、お釜帽に長髪、黒いシャツに黒いネクタイ、黒マント(心酔する詩人・ランボーを真似て)、だぶだぶの黒ズボンを身につけていました。
この世の者とは思われぬ風体で、郷里の田舎を歩くと、「中原へ行くと、坊ちゃんのようだけど、お嬢さんのような髪を長うした人がおいででしたが、あれはどなたでございましたか」と近所の者が母フクの実家まで問い合わせに行ったそうです。
ですから、中也が郷里で出歩く時は、人目を避けて夜更けてから行動しました。
中也の詩を作曲した諸井三郎が、東京の中野駅の近くで中也とすれ違った時の、特異な印象を綴っています。
「まことに変わった格好をした一人の若者とすれ違った。一目で芸術にうつつを抜かしているとわかるような格好だったが、黒い、短いマントを着、それに黒いソフトのような帽子をかぶった、背の低い、小柄なその人物は、一種異様な、しかし強烈な印象を与えずにはおかなかった」
立命館中学時代、中也は高橋新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』を読んで衝撃を受け、ダダイズムに心酔し、ダダイズム風の詩を書き始めます。
ダダイズムとは当時新進の思想でした。スイスのチューリッヒを発祥の地とした、1920〜30年代の価値観破壊を唱えた芸術上の前衛運動です。
ダダは通常の連想を断ち切ります。生活面でダダを実践すると、中也のようなランボーのスタイルとなるのです。
この世の権威と価値観の権化のような父に対して、徹底的に反抗した中也にとって、ダダは自分を正当化する大きな拠り所となったに違いありません。
●記事中のエピソードは、中原フク・述、村上護・編『私の上に降る雪は』
写真は『別冊太陽 中原中也』より転載。


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