第1部 父への反抗

第1話 奇蹟の子

              
                   父謙助と中也2歳

         お父さんはこの寒いのに、戸外に出ていく
         気の毒だなと思いながら、
         僕は寝床のなかで見ておった 
〈中也の言〉

中原家は、400年もの昔に遡ることのできる伝統ある士族の家柄でした。
中也は、この名門の家に50年ぶりに生まれた男子。中也が生まれた時、親戚や書生達を招いて三日三晩祝宴がはられました。

〈奇蹟の子〉と呼ばれ、〈神童〉と言われ育てられました。
父・謙介は中原家の養子で軍医。軍役を退いた後、郷里に帰り、大正6年(1917)中也10歳の年、個人病院「中原医院」を開業しました。中原医院の全盛時代は中也が県立山口中学に入学した頃です。弟の中原思郎氏によると「書生3人、看護婦7人、車夫2人。外科室、同準備室、処置室、レントゲン室、デアテルミ室、研究室、入院棟三棟12室を増設。県下で最初のラヂウム療法を始めた」とあります。「早朝から夜遅くまで、60人くらいのものが個人経営の病院を騒然とさせていた」繁忙ぶりでした。


       
一間は、約1.8m。中原邸は横27間(48m)、縦30間(54m)の広大な敷地だった

           
      
別棟廊下から中庭を望む             中原家玄関

     

        
中原家正面玄関              生家跡に建てられた中原中也記念館正面入口

謙介は勤勉で、元旦も休まず、熱があっても風呂の水を頭からかぶって往診にでかけました。外科が専門にもかかわらず、内科、眼科、歯科も手がけるようになりました。
「台所からは30人に近い此の一家の夕餉支度の煩雑な音が、これは人の胸を包むやうに彼の所に漂ひ寄った」と中也は散文に記しています。

                    ◆◇◆

           
             
中原一家。前列左より中也、弟亜郎、実祖母スヱ、母フク。
                 後列左より父謙助、別当に抱かれた弟恰三。中也4、5歳の頃。


              
俺のようなかたわを作ってしまった 〈中也の言〉

小学校は抜群の成績でした。子煩悩で誠実な父親。裕福な家庭。中也は理想的な環境の中で育ちました。
ところが、思いもよらぬ過酷な運命が中也を待ち受けていたのです。
  度を越えた過保護とスパルタ式教育です。父謙助は、湯田が温泉観光地のため、色町で環境が悪いと言って、学校から帰った中也を一歩も外へ出しませんでした。中也はついに自転車にも乗れず、泳ぎもできなかったのです。二時間くらいで予習・復習をやってあとはすることがありません。所在ないので習字をし、絵を描きました。中也が習字に秀でていたのは、能書家の母の影響もありますが、幼時の極度の過保護に負う所が多いようです。

孤独な中也は、家の外で近所の子供らが遊び戯れる声を聞くと、外の自由な世界にあこがれました。後年、中也は母親をつかまえては、自転車に乗れず、水泳もできなかったことを、「俺のようなかたわを作ってしまった」と、くどくどとなじってやまなかったといいます。

中也6歳の頃から、しつけが猛烈になってきます。父は軍隊式、母は小笠原流、祖母は寺子屋式。中也の随筆『金沢の思い出』に、祖母に叱られて亡き弟と松の木につり下げられたことがあると記しています。

が、これは序の口でした。父親のは地獄のシゴキでした。床の間に面壁で正座させられるのです。来客が本物の置物と見間違えました。
  実に生きているような彫像ですな。絶対に動いてはならないのです。シビレが切れてちょっとでも身体を動かすと、煙草の火を不意打ちでかかとに当てられます。今も残る床の間の壁の爪痕は、〈面壁折檻〉の苦痛に耐えかねた子供らの悲鳴の記念でした。
この面壁折檻を最も多く受けたのは、やはり長男の中也でした。

最大の罰は、納屋の中に一晩中禁固されることです。弟達の1、2回に比べて中也は何十回と受けています。昼でも真っ暗、塩気とカビの匂いがします。「今夜はこの中でよく考えろ」この罰は二度と同じ悪戯をしなくなる効果があったようです。
(中原呉郎『三代の歌』)
中也は、中原家の次代の当主だからこそ、こんな過酷な家長教育を受けていたのです。


          
「かたわ」という言葉は、現在差別用語ですが、中也の肉声を
              活かすため、あえて原文のまま掲載しました。
              記事中の中也のエピソードは、中原呉郎『三代の歌』、中原
              思郎『長兄』より引用。また、中原家関係の写真は『新潮日本
              文学アルバム 中原中也』より転載。