中原中也を読む・・

今年は中也の生誕100年に当たります。100年前に生まれたというと、ずいぶん昔のように思われますが、他の著名人では、井上靖、松原泰道、服部良一、東野 英治郎、三木 武夫。
さらに、聖路加病院理事長の日野原重明先生は中也より4歳年下の1911年(明治44年)生まれ。案外、身近に接していた存在とも言えます。

中原中也は、幅
広い世代にわたって人気のある、国民的詩人です。代表作「サーカス」「汚れちまった悲しみに」は、詩を愛好する者なら誰でも一度は耳にしたことでしょう。
でも、中也の実像というものは、どこまで忠実に知られているのでしょう。私は、今回たまたま人前で中也について話をする機会を与えられました。そこで、色々調べたところ、詩作品から受け取る詩人像とはかなり隔たった印象を持ちました。

中也はわずか30年で世を去った人ですが、生涯の密度は濃厚で、何回かに分けて話さなければならないほど、多くのエピソードとドラマに満ちています。
中也を語るには、いろんな切り口がありますが、私は父、母、家族との関係の中で、中也という人間を考えてみたいと思っています。というのは、中也ほど親・家族の期待を裏切り続けた跡取りはいないからです。

私も一人っ子で同じ跡取りありながら、徹底的に親の期待を裏切って文学の道に進みました。
その一点を中也との共有軸として、自分の半生を重ねながら、中也を巡る家族のドラマを追体験してみようと思います。今後のお話のプログラムは以下の通りです。

                   ◆◇◆

第1部 「生い立ちの歌」と父への反抗
     幼少年期、中学落第、転校、同棲、文学仲間との出逢い、父の死まで。
     明治40年〜昭和2年(1907〜1928/0〜21歳)

第2部 「帰郷」と母恋い
     同人誌『白痴群』、処女詩集『山羊の歌』出版、ノイローゼ時代まで
     昭和3年〜昭和7年(1929〜1932/22〜25歳)

第3部 「春日狂想」と家族愛
     見合い・結婚、愛息の死、精神錯乱、死去まで
     昭和8年〜昭和12年(1933〜1937/26〜30歳)

          
中也の近影は、大正14年(1925)に上京の頃、銀座の有賀写真館で
             撮影。18歳。『新潮日本文学アルバム 中原中也』より転載