|
秋、スーパーの果物売り場に並ぶ色づいた林檎を手に取ると、季節の深まり感じます。
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり
この一節に初めて触れたのは、ラジオから流れる大学受験講座の国語の時間でした。
私は受験勉強をスタートさせたばかりの、高校三年生。多感な心は、勉強も忘れて、藤村の甘い調べにひたっていました。
初恋 島崎 藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
林檎畠(りんごばたけ)の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)がふみそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
若者を酔わせた五七調のリズムは、五十代を迎えた身にも、なお甘美に響きます。
でも、あらためて詩をながめた時、詩の言葉の意味も正確に理解しないまま、今日まで口ずさんできたことに気がつきました。
それで、「少年老いやすく学なりがたし」の年齢になって、一行ずつ言葉の意味を検証する試みをしてみたのです。
●まだあげそめし前髪
現代語訳すれば、「髪をあげてまだ日がたたない少女の前髪」となるでしょうか。
髪をあげるとは、現代のようにヘアースタイルをアップに結うということではありません。「初恋」の書かれた明治時代では、少女が12、3歳頃になると、肉体的な成熟を迎えたとして、大人になった印に、それまでの振り分け髪(今で言うオカッパ)から、写真のような髪型に変化することを指しました。もう子供ではない、成人の女性であるという世間へのアピールだったのです。
●前にさしたる花櫛
「花櫛」とは、文字通り、花のようなデザインをほどこした髪飾りです。
結い上げた、匂うばかりの前髪にさした花飾りの櫛が、少年の目にはまるで花が咲いたように輝いて見えたのです。
●やさしく白き手をのべて
現代のような肌を露出したファッョンのない明治時代。着物の袖からすべり出る、少女の白い腕には新鮮な輝きがありました。「白い手」には、単に女性の肌の白さだけでない、淡いエロチシズムも薫っているようです。
●薄紅の秋の実に人こひ初めし
ここも、うっかりすると読み過ごしてしまう箇所です。人を恋し始めたと詠っているわけですが、恋の対象が〈人に〉ではなく、〈薄紅の秋の実に〉となっていることがポイントです。私たちも想う人から贈り物をもらった時、その贈り物を本人の化身のように思って大切にするでしょう。少年は、少女がくれた林檎を、少女そのものであるかのように恋心を抱いています。
●わがこゝろなきためいき
「こゝろなき」とは、心がない=非情、という意味ではありません。無意識に、あるいは、我知らず、の意です。
昨日まで、子供だと思っていた少女が、髪を結い上げて急に大人びた様子に、少年はとまどいます。その心のおののきが、思わず、吐息をもらしてしまうのでしょう。そして吐息が前髪にかかるとは、二人が顔を合わせるほどの至近距離にいることを暗示しています。
何とも、熱っぽい描写ではないでしょうか。
●たのしき恋の盃
「恋の盃」とは譬(たと)えです。盃の連想から、「酌む」という言葉が導かれています。
普通なら、盃に美酒を注いで、人は酔いを楽しみます。詩の一節では、酒の代わりに恋の喜びを盃に酌んで、少年は人生の美味に酔っています。君が情け、とは林檎を与えてくれた少女の純愛の意でしょう。乙女の恋心を受ける我が身の至福に酔いしれているのです。
●おのづからなる細道
林檎畠の中に、自然にできた細い道。少年と少女は、いつも同じ林檎の木を待ち合わせの場所に決めています。足で踏み固めた道ができるとは、この二人はもう数えきれないほど会っているのですね。
●問ひたまふこそこひしけれ
少女は少年にたずねます。 ねえねえ、この林檎の木に続く道は、誰が作ったのかな?
自分ではわかっているくせに、いたずらっぽく少年に聞いています。
そんな少女を見て、少年はよけいに彼女を愛おしく思うのです。
◆◇◆
こうやって、詩の一節一節を細かく調べてみて、「初恋」の詩を少年の口を借りて現代風に物語ればこんな風になるでしょうか。
いつも君と会う約束をしている林檎の木に行ってみると、
髪を結い上げたばかりの君の姿が見えた。昨日までとは
見違えるような大人になった君は、前髪に花櫛を挿して
いた。僕は君の髪に花が咲いたように思うほどだった。
着物の袖から、まぶしいくらい白い手を差し伸べて、君
は林檎をくれたね。僕はその林檎を君の身代わりのよう
に大切に思って、林檎に恋をしたのが恋の始まりだった。
急に大人びてしまった君に、僕はどう話しかけていいか
わからなかった。顔を合わせるほど傍にいると、僕の口
から思わずため息がもれ、吐息が君の前髪にかかった。
僕は今、恋の盃に君の純情を酌んで、青春の美味に酔っ
ているんだ。
君とこの林檎の木でもう何回会ったことだろう。気がつ
いたら、二人が通い続けた証(あかし)に、いつのまにか
細い道が生まれていた。
それなのに、君はわざと僕に聞くんだ。「ねえねえ、誰が
この道をつくったのかしら」って。
そんないたずらっぽい君が、よけいに僕は愛おしい。
藤村の「初恋」は、単に初々しい恋を詠った作品とはニュアンスを異にします。私はこれまで、何となく片思いのような清純な恋の物語を思い描いていました。でも、それはまったく自分の想像の産物による誤解だったようです。
ここに描かれた恋物語は、成人を迎え、大人の仲間入りをした女性に、あこがれと淡いエロスを感じている少年の姿が浮かんできます。そして相手の少女も、寡黙で純情無垢な存在ではありません。まだ幼さを残している少年をからかって楽しむ、小悪魔的な性格も兼ね備えた女性像でもあるのです。
●上掲の写真は「風流子」(http://www.jah.ne.jp/~fuuryusi/index.htm)と、「日本舞踊の
かんざし髪飾り」(http://moonwaltz.fc2web.com/nihonbuyo-kanzashi.htm)から転載
させていただいています。
|
|