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秋の原
高田 敏子
さわさわっと 音がして
草の葉が
左右にわかれてゆれた
その瞬間に
光ったものがすぎた
それはあの
銀色の 細長い生きもの
だったように思う
草は 左右にわかれて
生きものの行く道を作り
そしてまたもとの静けさに
もどっている
私の胸もさわいだあとの
静けさにもどって
きらいなはずの生きもののいのちを
愛しいものに思いはじめていた
秋の冷たさの中にいて
詩集『季節の詩*季節の花』
今まで数多くの詩に接してきましたが、〈蛇〉というものを素材にした作品はほとんどありませんでした。
比喩表現の中で、人の心の奥に潜む魔性を暗示する例は目にしたことがありますが、蛇を直接の題材に選んだものはなかったように思います。普通、女性が最も忌み嫌う爬虫類でもあるのですから当然なのかもしれません。
しかし、高田敏子の「秋の原」からは、蛇に対する厭(いと)わしさは伝わってきません。
そこには、作者の巧みな技術が隠されています。
ひとつには、〈蛇〉という語がそのまま使われていないこと。〈光ったもの〉〈銀色の 細長い生きもの〉という暗示的な表現に抑えられています。
さらに後半では、〈生きもののいのち〉の語が現れます。
「蛇」という言葉で限定しないことで、まず、読者の嫌悪感を取り去り、はっきり名づけないことによって、より生々しい存在感をかもし出す効果をあげています。
蛇との遭遇で作者は胸を冷やします。でもそれは一瞬の出来事。〈草は 左右にわかれて/生きものの行く道を作り〉、すぐに蛇を隠します。人に嫌われる生き物を野原がまるで守っているような、作者のいたわりの眼差しが感じられる章句です。
戻ってきた静けさの余韻の中で、〈きらいなはずの生きもののいのちを/愛しいものに思いはじめていた〉心が生れます。
ここでは〈生きもの〉と大きく捉えたことで、同じ生あるものである人との繋がりが生れました。秋の原で、同じ季節を過ごす生き物として、共に秋冷えに身をひたす共感が広がります。
人に忌み嫌われる淋しい生き物がけなげに生きている姿に、作者は自分の命を重ね見ているのでしょう。
このように厭わしい素材までも愛しいものに変えてしまうのが、詩の魔力(マジック)といえるかも知れません。
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