雪の日記から




     
     夜明け

     指環の抜け落ちた細い指先が 病室のくもり
硝子の窓を
     あける
     吹きこむ雪は 寄り添う肩に白く咲いて ふっと透きと
     おる

     透きとおるひとひらに またひとひらの雪が重なる そ
     れもやわらかな重みのまま ひとつのしずくにとけて 
     蒼ざめた乳房へ伝わっていく

     雪は降り積まないだろう 私たちの夜は降り積まないだ
     ろう

     黒く濡れた庭土の上 胸のさびしいぬくもりの上 しず
     まり 透き ほどけていく 朝焼けの前の残りの雪が舞
     っている


          
蒼い花

     執刀医の低い声が 短い知らせを告げ終ると 握りしめ
     た受話器の奥から 雪は静かに降り始める

     私は聴いている 木枯しの吹きぬける街を渡って あな
     たへつながるひとすじの闇 その闇の奥から降る 雪の
     冷たさ 溶けない痛みの冷たさを

     浅い眠りの夜 夢の中のあなたは 美しい雪の形をした
     一輪の花を髪にさしている

     未明 地下室のベッドで ガーゼのはさまれた口を小さ
     くつぐませた時 私の熱い頬の下に なおも咲き続けて
     いた氷の花 
     深く 耳の底深く 神経を犯し脳髄をつらぬき 冷たく
     鋭く こめかみ一面にひらいた うす蒼い病巣の結晶


          
風花(かざはな)

     低くけむる灰色の雲に 一条の青い切れ間が走る 冬枯
     れた並木の枝先は濡れている 洗い終えたメスの刃の 
     しずくの清さを光らせて

      (生まれ変われるのなら また女に生まれたい もう
       一度女をやり直したい)

     散りばめられた骨をうずめるように 私はゆっくりと踏
     みしめていく 足もとに凍てついたわくら葉 切れぎれ
     の乾いた瞳 ひび割れた額を

     雪は降りやむだろう 冬の記憶は降りやむだろう

     散りしく桜を待ちこがれた人 うすい陽ざしの照り始め
     た舗道で 今 唇をかすったひとひらを あなたに寄せ
     る最後の口づけにしよう

     それは地に吸われ 地を通り抜け 遠い闇の底へ 遠い
     山里の林の底へ

     土深くねむる あなたの冷たい頬に 舞いおりる ひと
     ひらの白い花びら
                      
詩集『白夢』


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不治の病で亡くなった人を追想する追悼詩です。

作品は3部構成で、第1部が入院中の情景、第2部が脳腫瘍の手術直後の死、第3部が死後の空漠たる心象風景を描いています。
この作品の背景には、30年前の被爆二世の悲劇があります。
妊娠中の母親が原爆に遭い、生れた子供も原爆による災禍を負う、いわゆる「体内被爆」した広島の男性が、成人して二十代の女性と巡り逢い、婚約しました。
ところが、男性は結婚直前に白血病を発症し、急逝します。

悲劇は続きます。残された女性が後追い自殺をしたのです。この悲痛な事件は、当時、社会的な波紋を呼び、地元テレビ局で「さるすべりの花」というタイトルでドラマ化もされました。
私は原爆をテーマとして書く意図はありませんでしたが、創作の意識の底にはこの悲劇が影を落としていたように思います。