名詩100選・・



            夏の名残の薔薇
        
アイルランド民謡


           
The Last Rose of Summer

'Tis the last rose of Summer,               それは夏の名残のバラ
Left blooming alone;                     一輪だけ咲き残る
All her lovely companions        同じ木に咲いた美しき仲間たちはすでに
Are faded and gone;                    色褪せ散っていった
No flower of her kindred,            ともに咲く同じ血筋の花もなく
No rosebud is nigh,                 小さな蕾すらそばにいない
To reflect back her blushes,          仲間がいれば紅の色を映しあったり
Or give sigh for sigh!              嘆きを分かち合うことも叶うのに

I'll not leave thee, thou lone one,        さびしい薔薇よ 私は おまえを
To pine on the stem;            茎の上で嘆き暮らすままにはしない
Since the lovely are sleeping,   愛しい仲間は永久の眠りについているのだから
Go sleep thou with them.                  さあ、共に眠るがいい
Thus kindly I scatter                 こうやっておまえを手折り
Thy leaves o'er the bed            花壇に葉を優しく散らしてあげよう
Where thy mates of the garden               仲間だった花たちが
Lie scentless and dead.             香りもなく散り敷く その上に

So soon may I follow,               まもなく私も後に続くだろう
When friendships decay,                     友情が朽ち去り
And from Love's shining circle          そして愛の輝ける団欒の輪から
The gems drop away!    宝石のような大切な人たちがこぼれ落ちる その時に
When true hearts lie withered,           心を許しあった人が枯れ果て
And fond ones are flown,            愛しき者たちも去ってしまったら
Oh! who world inhabit               ああ、誰が生きて行けようか
This bleak world alone?               この凍える世界に独りきりで



                
◇ ◆ ◇

実はこの『夏の名残のバラ』は、日本では唱歌『庭の千草』の原詩にあたります。
アイルランドの国民的詩人トマスムーア(Thomas Moore/1779-1852)による詩を、ジョン・スティーブンソン(Sir John Stevenson/1761-1833)が作曲しました。「庭の千草」の歌詞はこのようになっています。

                
庭の千草
              詩・里見 義
(ただし)


             庭の千草も 虫の音
(ね)
             枯れて さびしく なりにけり
             ああ 白菊  ああ 白菊
             ひとり 遅れて 咲きにけり

             露にたわむや 菊の花
             霜に おごるや 菊の花
             ああ あわれあわれ ああ 白菊
             人の操
(みさお)も かくてこそ


二つの詩を比べてみると、まったく別物であることがわかります。
日本語版では、薔薇が白菊に変貌しています。モチーフが変わっただけでなく、詩のテーマも大きく変わりました。
原詩では、同じ一本の木に咲いた薔薇の群れを通して、友情と家族愛の大切さを訴えています。

たった一輪残った薔薇は、同じ血筋の者もなく、生まれ来る子供たちもいません。
仲間がいれば互いの色あいを競って楽しんだり、辛い時は痛みを分かち合うこともできるのに、みんな去っていきました。

作者は薔薇に呼びかけます。孤独な薔薇よ。私はおまえをこのまま寂しいままにしておくのは不憫だ。だから、私が仲間の眠る花壇にやさしく葬
(ほおむ)ってあげよう。

そして我が身の老い先を思い、名残の薔薇に自分自身を重ねて、私もおまえの後に続くだろうと予言します。

友情が朽ち去り  友達がみんないなくなり、
愛の輝ける団欒の輪  一家団欒の輪から、宝石のような大切な人たち  かけがえのない家族が失われる、その時に。
心を許しあった人が枯れ果て  老いて旅立ち、愛しき者たちも去ってしまう、その時に。
私は後につづく、と。

そんな仲間も家族もいない凍える世界で誰が生きていけるだろう。
人が年老いて、たった一人になってしまう寂寥を痛切なまでに謳っています。
メロディーの美しさとは反対に、ずいぶん寂しい詩ですが、その嘆きを裏返せばいかに仲間や家族の存在がすばらしいものかを訴えているのです。

日本版の「庭の千草」では、人の高潔な生き方を讃美する内容となっています。
千草(=雑草)も枯れ果て、虫の音も絶えた冬枯れの庭に、遅咲きの白菊がけだかく咲いています。露の重みに耐え、霜の冷たさにも負けず、凛と咲いている。
人もこの白菊のように節操をもって生きたいものだ、と。

「夏の名残の薔薇」が日本で紹介されたのは、1884年(明治17年)。
「庭の千草」のタイトルで音楽教科書『小学唱歌第3編』に掲載されました。当時はまだ海外の民謡・童謡があまり日本に広まっていない時代。『蛍の光』や『蝶々』などが音楽教科書『小学唱歌(初編)』に掲載されたのもちょうどこの頃(1881年)でした。

内容が日本人によって換骨奪胎されたと言えるかも知れません。
ただ、西欧列強に追いつこうとやっきになっていた当時の明治政府が、「唱歌」を子供達への格好の情操教育の手段としたという時代背景を考慮してみなければならないでしょう。

                ◇ ◆ ◇

「庭の千草」は私の愛唱歌のひとつです。日本でも幾多のソプラノ歌手が歌っています。ある日、「庭の千草」というキーワードでCDをネット検索していたら、「夏の名残の薔薇」という予想外の結果が出て来ました。
お恥ずかしい話ですが、その時まで私は、「庭の千草」にモトウタがあるとは夢にも思いませんでした。目から鱗とはこのことですね。

「夏の名残の薔薇」を歌っている私の一番のお気に入りの歌手は、アイルランド系でニュージーランド出身のオペラ歌手、ヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra)です。「Hayley Westenra Celtic Treasure」というCDの中に収録されています。
CDの試聴は、こちら
このCDでは、メイヴ・ニー・ウェルカハ(
Meav Ni Mhaolchatha)とデュエットで華麗に歌い上げています。