リフォームの達人・・
詩は窃盗

私の処女作は詩誌『野火』に初めての投稿で入選したものです。
原稿はこのようなものでした。


            
てのひらの海

          あなたのてのひらは
          種をのせると 花の咲くてのひら

          目かくしをされたら
          虹の見えるてのひら

          暗く閉じた手を包むと
          潮の満ちるてのひら

          波が ひびわれた爪を浸(ひた)す
          わたしの手は
          あたたかい てのひらの底で
          静かに眠る 貝になる


この恋愛詩にはモデルがあります。
詩人・安西均は他人の詩を模倣することについて厳しい言葉を残しています。
「詩は窃盗である。大いに盗んでよいが、しかし、もとの詩よりもすぐれたものに仕立てなくては、たんなる盗みにとどまる。それでは破廉恥罪だ」
詩の章句をそのまま模倣したら、紛れもなく盗作。安西均の説く詩の窃盗とは、詩の発想を盗むことにあるのです。


夭折の詩人に学ぶ

            あなたの手は     矢沢 宰

          あなたの手は
          握りしめるとあたたかくなる手だ
          あなたの手は
          暖めるとひよこの生まれる手だ


矢沢宰(やざわ おさむ)は「光る砂漠」(童心社刊)という1巻の詩集を残して夭折した詩人です。

1944年(昭和19)生まれ。8歳で腎結核のため右腎摘出手術を受け、13歳で左の腎結核が再発。1966年(昭和41)に21歳の儚さで世を去りました。
没後、500余篇の遺稿から54篇を厳選、同年に遺稿集が刊行されました。
以後、今日に至るまで再版を重ねるロングセラーです。

「あなたの手は」は16歳から17歳にかけての作。この無私至純な抒情美を生み出しているのは、何といっても作者の卓抜した詩的イメージの発想力でしょう。
人の手は豊穣な人生を生み出す器  矢沢宰の作品から、こんな詩の骨格が透けて見えた時、私は手を恋愛のイメージに結びつけることを思いつきました。
〈手〉を、音の響きの柔らかい〈てのひら〉に変え、プラトニックな情愛を流し込んだのです。

  
詩は一品料理

「てのひら」の構成は、1連で愛情を与える「あなた」を描き、2連で〈目かくしをされ〉愛情を受ける「私」を、3連で「あなた」と「私」の相互の交感をうたった3部構成で、ここまでは自分なりにイメージを組み立て、何とか最小限、傷を抑えています。

重傷は、四連以降。
〈波が ひびわれた爪を浸す〉は、ひびわれたような孤独で乾いた心を、あなたの優しさが波のように潤す、という心象を表現しています。
この一行、今読み返すと、なんとも恥ずかしい。恋愛を理想化する青年特有の実感でしょうが、てのひらの連想からか、唐突に「爪」を出すなど、構成が不徹底でイメージの詩的消化が足りません。

さらに詩想は、「あなた」のやさしさの中で、私の心は〈静かに眠る 貝になる〉とエスカレートしていきます。孤独に疲れた傷心の「私」は「あなた」の愛に包まれ、癒される、という浄福感をうたっているのです。

作品中、ここが最も甘ったるい箇所でしょう。青臭い、陳腐なセンチメンタリズム。
この歯の浮くような感傷をもたらしたのは3連の〈暗く閉じた手〉という、寂寥感を比喩する言葉が、そもそもの元凶になっています。


凝縮の精神と装飾の精神

「てのひら」だけに焦点を絞ればよかったのですね。詩は一品料理と、常々高田敏子先生が説くように、一品で完結させればよかったのです。
それを欲張って、海のイメージを割り込ませ、あげくは「貝」まで登場させ、夢想的感傷で詩を締めくくろうとして一篇を台なしにしました。
これが若年の未熟さでしょうが、矢沢宰を越えようとして、見事に自己破綻してしまいました。

まさに「破
廉恥罪」。詩の世界でプロと初心者の違いを考えるとすれば、プロは言葉を削ることに全力を尽くす、ということになるでしょうか。
一方、初心者は言葉をつけ加えることに情熱を注ぐようです。凝縮の精神と装飾の精神の差というべきでしょうか。

連想の湧くまま手をひろげ、あれもこれもと欲張って、自分のテーマを見失い、作品を破綻させる。これが初心者の最も陥りやすいバブル的パターン。私の失敗例で明白です。
しかし、私の欠陥詩を救いあげ、再生させたのが、選者・高田敏子の添削でした。

高田再生工房

            てのひら

          あなたのてのひらは
          種をのせると 花の咲くてのひら

          目かくしをされたら虹の見えるてのひら

          手に包むと潮の満ちるてのひら


原詩と比べると、まず長さが半分に短縮されています。
2行だった2連を1行に連結し、4連はすべてカットされました。タイトルからも「海」の語が削られ、これでイメージが「てのひら」だけに統一されることになりました。


白熱の添削

詩誌『野火』の会員は、全国で800名余。隔月に送られる会員の投稿原稿、200篇を、1篇につき最低15分は向き合い、手を入れ、最善の形に調うまで繰り返し目を通した選者の気迫。
私の原稿も、その白熱化した短時間の内に凝縮したわけです。それは一瞬の完全燃焼に等しい添削で、私は詩誌に掲載された自作を見て、プロの裁断の厳しさを教えられました。

処女作「てのひら」は、入選作といっても、言わば高田敏子の手で手術され、患部を摘出されて蘇生した詩に違いありません。
でも、どんな形であれ、これが私の詩的出発でした。初投稿で入選したことは、その後、詩作へのめり込む誘爆剤となりました。

実は、もし初投稿で落選したら、自分には詩才がないものといさぎよく諦め、他の文学ジャンル  短歌、俳句の世界にチャレンジしようと思い詰めていたのでした。何と性急な、と思われるかもしれませんが、それが若さゆえのいちずさなのでしょう。ともあれ、私は高田敏子の力で、からくも詩の道に引き戻されることになりました。