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今年は遅い梅雨入りとなりました。しかも梅雨の期間が短いようだと長期予報が告げています。猛暑がやってくるのでしょうか。
先日来の雨で、庭の紫陽花も勢いを取り戻し、新たな蕾もふくらんできました。
雨に降り込められて、机に向かっていると、人の思いはひとりでに過ぎた時間を訪ねていくようです。そして身の回りから消えていったものたちへの愛惜の念が強まるのでした。
雨の日
高田 敏子
きょうも雨
昨日も雨
その前の日も雨
タオルはぬれたまま
せんたくものもぬれたまま
煙を出すこともなくなったお風呂のエントツも
さびしい涙を流している
半年前に姿をかくした黒ネコ
一年前に篭(かご)から逃げていった
カナリア
駅のベンチに置き忘れてきた私の
あじさい色の雨傘
みんなどこかでこの雨に
ぬれているのでしょうか
去年の夏
富士のくさ裾野の草むらに落として来た
銀のコンパクトも
まだ錆びないまま
ぬれているのでしょうか
詩集『あなたに』
詩は、話題を広げるのではなく、ひとつのテーマに絞って思いを深めるものと、作者は語っています。
失ったもの というテーマから、様々な具体例がリストアップされます。
飼い猫、カナリア、雨傘、コンパクトと数えるうちに、作者の視点は家の中から外に向かって広がっていきます。最寄り駅から遠い富士の裾野まで、詩の思いを深めています。
年を重ねると失ったものの数が急速に増えていくことを実感します。
私も師の高田敏子と中国・揚子江流域の旅に行った折の、記念のツーショット写真を引っ越しの最中に失くしてしまいました。本当は家のどこかに隠れているのでしょうが、何度探しても出て来ません。貴重な写真だけに悔やまれますが、見つけるすべはないようです。
苦労して手に入れた愛読書もずいぶん失くしてしまいました。どこかにしまったままか、気がつかないうちに処分してしまったのか、もうわかりません。
しかし、物よりも人との繋がりがもっと身にこたえます。
学生時代、毎日のように会っていた詩の仲間の連絡先を失くしました。社会人になってからは、賀状だけの、か細い付き合いが続いていたのですが、ちょっとした行き違いから宛名不明で葉書が返って来ました。
もうこうなると、探偵社にでも頼まない限り、消息不明に陥ります。
みんな時の向こうに消えてしまったのですね。もう二度と取り戻すことはできないのです。そんな風に、大切なものをどれだけ自分は失くして生きて来たのか、と驚くばかりです。
連絡の途絶えた相手も同じでしょう。
草むらで濡れているコンパクトのように、離ればなれになった心が、紫陽花の雨に打たれているのでしょうか。
2007.6.17
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