心の傷

花の詩画作品「詩のある花々」を作り始めて、今日までに34作品が集まりました。
最初はほんの遊び心で、花の姿や色を眺めているうちに、ひとりごとのように詩の言葉が浮んできました。

でも、これらの作品は、単に花の美しさを讃美する詩ではないことに、書いているうちに気がつきました。
地元のNHKテレビのインタビューに出演した時も、その点に焦点をあてたお話をしました。それは次のようなものでした。

Q 傷ついた経験が詩のテーマになっているんですね。
A 私自身が人一倍、寂しがり屋で、傷つきやすい、弱い心の持ち主なので、 先生のこの言葉  詩は傷ついた人の言葉  が特に心に響くんだと思います。

Q 詩はきれいなものだと思われていますが、きれいな詩とはどう違うんですか。
A たとえば観光旅行に行った時のことを考えてみるとわかりやすいと思います。景勝地を訪ねて、そこでこの世のものとは思えないような美しい光景を目にして心の底から感動します。

でも、そういう感動はあまり長続きしないんですね。美しいものは、確かに私たちを酔わせてくれますが、いつまでも心に残りません。賞味期限が短い。
だから、しばらくすると、また旅行に行きたくなるんですね。

しかし、心の傷に訴える詩に出逢うと、心の傷は、その人の本質に関わることなので、心に響いた詩の言葉が、時間が経てば消えるということはありません。心の傷がいやされない限り、詩の言葉はいつまでも心に残ると思います。
極寒の極地のような風景とか、一木一草もない砂漠の光景の方が、胸にしみることがあります。それは、美しい、きれいという次元を越えて、その人の心に深く関わるものだと思います。

Q 詩と花の合作の中で、このような傷のある詩を書こうとしているんですか。
A 最初から、それを意図したわけではありません。何作か書いている内に自然にそのような作品が集まっていたということです。

Q 詩で書いている傷はどういうものですか。
A 一言で言いますと、人の力ではどうすることもできない哀しみ。それが私の傷です。
例えば、若い頃では、失恋など。失った相手は、もう二度と取り返すことはできません。もうこれは自分が努力してもだめな、運命的なものですよね。
それから、今の私の年代では、父親を看取った経験でしょうか。治療の方法もない中で亡くなった父親の死。
こんな、人の力を越えた哀しみ、痛み、寂しさ、が私にとって癒えることのない傷と呼んでいいと思います。
                            
2006.12.12