|
実家の柿の木の根元に咲いている いや無惨に朽ち果てた紫陽花に目が止まりました。
紫陽花は、枯れても最期まで円い花の形を崩さない特徴があります。
詩人・高田敏子の詩に、この花を謳った佳品があります。
あじさい
高田 敏子
あじさいの花は
散ることをしない
雨の日を咲きつづけ
秋風の中に咲きつづけ
咲きつづける心を
そのまま残して枯れていく
散る花よりも あわれな
さびしさ
花の姿
ひとりの人を思いつづける
心に似ている
普通、紫陽花を扱った詩は花の色が移り変わることをテーマにしがちなのですが、散ることもなく花の原型をとどめる姿に着目したユニークさがあります。
私は、老残の花の姿に自分の夢をあきらめない不屈の姿勢を見ました。
花の盛りが終わって、秋、冬の風雪に打たれ、確かに見る影もないほどの痛々しい風情です。でも、かすかに花の色の名残りがあります。
弱々しさを持った、満身創痍の花に私は強く惹かれてなりません。それは、私自身が年齢を重ね、身も心も枯れてきたので親近感を感じるためでしょう。
蘭や薔薇などの絢爛豪華な花々は、一見、詩の題材として扱いやすいように思われますが、あまりに立派な花はこちらの想像力のつけ入るすきがありません。
花の美しさを讃美しただけの作品に終わってしまうようです。
命の瀬戸際で、まだ夢を捨てずに、最初のこころざしを保ったまま耐えている花の姿に、私は我が身を応援してもらっているような気さえしてくるのです。
冬枯れの紫陽花
色あせても
すがれても
夢の形を見失うな
老いても
病んでも
誇りを捨てるな
精一杯の命をとどめる
冬枯れの紫陽花のように
2007.2.25
|
|