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●詩は告白
〈書くことはある意味で傷つくこと。
傷つく 血を流すことで自分というものを知る。書くことが痛くもなんともない詩はつまらない〉
今も耳に刻まれている恩師・高田敏子の言葉です。
詩というものは、人の心から湧き出る内奥の言葉です。
作家三島由紀夫は、「詩は告白」と名付けています。確かに詩は、親兄弟にも、親しい友人にさえ語ることのない、デリケートな心の告白をテーマとしているものでしょう。
我が身に秘めた言葉を綴り、あるいは作品を公表することには、ある種の勇気と覚悟が要ります。
よい作品が生まれることは作者の喜びには違いありませんが、同時に、心の奥深く血を流していることにもなります。
●家族を見つめる
50歳を過ぎてから、私は家族のドラマを詩に書くようになりました。
その引き金となったのは、父を介護した経験です。
介護を通して私は、肉親に対する自分の愛情の薄さ、自分の弱さ、どうしようもない性格にいやでも向き合うことになりました。
これらの思いは、本来は言葉にすることなく、自分の中に閉じ込められているものなのでしょう。たまたま自分が言葉を書くことを仕事としているために、詩のテーマとして綴っているわけです。
言わば〈詩で綴る自分史〉となる作品群は、人から評価される喜びと引き換えに、書く者にとっては心の痛みを広げる行為となります。
でも、この痛みなしに人に感動を与える作品を生むこともできないでしょう。
恩師の言葉は、その機微をあざやかに語っているものだと思います。
あざみ
詩は傷ついた人の言葉と
ある詩人から教わりました
心が純だからでなく
心が清いからでなく
心に傷を持っているから
美しい言葉が生まれるのだと
葉にとげを持つあざみが
心にとげが刺さっているように
花の色を深めています
2006.12.25
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