幾何学




       
線とは幅のない長さである
       平行線とは同一平面内で交差しない二本の線である

      黒板に端正な平行線を書き終えると、老年の数学教師
     は頬に薄く笑い皺を浮かべた。
     「現実には完全な平行線というものはないんだな。
      製図に引かれた平行線でも、厳密には目に見えない誤
      差で傾いているのさ。
      もし、このチョークの線を無限に伸ばしたら、どこか
      遠い宇宙の一点で必ず交わるはずだよ」
      少年の私は伸び続ける白線の行方を追って窓を眺め、
     時空の果てに浮かぶ交点を幻に見た。

      ただ人並みの幅を守る私の境涯も、年齢の長さだけの
     淋しい線だろう。そのかぼそい線が、半生をわずかに越
     えた夜々。
      名前を思い出せない顔が幾たびか夢に現れる。
      同級生の誰とも口をきかなかった女生徒。終日、居眠
     りをしていた病気あがりの重役。
      人の世の同一平面内で、一度も交わることのなかった
     淡い面影ばかりが枕辺に佇む。

      眠りの底には黒板のような静かで清潔な平面が広がっ
     ているらしい。遠く忘れられた私が、私を忘れ去った者
     の夢の中で、交差する密かな火花を散らしているかも知
     れない。
                       
詩集『白夢』


                     ● ●


高校時代、幾何学の授業で、平行線の項目がありました。そ
の時、現実には純粋な平行線はあり得ないのだと語った教師のひと言が、学窓を出て何十年もたったのに妙に頭に残っていました。
現実には、どんなに正確に平行線を引いても、人の手によるわずかな線の傾きで、二本の線を無限に伸ばせば必ずどこかで交わる、というのです。

それなら、この二本の線を、人に見立ててみたらどうだろうか。一人ひとりが別々に歩んでいる人生には、わずかな傾きがある。言いかえれば、かすかな共通点がある。本人同士が気がつかない、人知を超えた所で交わっているかも知れない、こんな詩想が浮かびました。

無限に引かれた平行線のような、現代の希薄な人間関係の中で、私は人と人の新たなつながりの可能性を描こうとしました。この世で絶縁した者同士でも、夢のような異界では密かに触れ合っているのかも知れない・・。

世界の様々な紛争の中で、危機打開のため日夜努めている心ある人々の行動は、両極の平行線にかすかな傾きを探り出し、遠い日、両者が交わる一点を生むのではないでしょうか。不完全な〈誤差〉を抱えた人間であればこそ、紙に書かれた平行線のように、いつかは交わる日も訪れるのではないでしょうか。

誠に甘い楽観論と一笑にふされそうです。でも、この世に完全な平行線がないように、人と人との間にも無限の平行線はないことを、私は自作の詩を通して願っています。