蛇腹の美学

                  土本 義博さんへ





        
青年はアコーディオンという名の
        銀色に輝く蛇を飼っている
        彼は不意に頭と尾をつかみ
        静かに寝息を立てていた体を
        一気に引き伸ばす

        驚いた蛇は怒りで喉を鳴らし
        幾重にもたたまれた腹をふくらませ
        熱い旋律に満ちた息吹
(いぶき)を吐き出す
        大きく身を反らせた蛇を黙らせようとして

        彼は力強い両腕で鎌首を押し縮める

        すると蛇は さらに猛り狂ったように
        彼の膝の上でのたうち回る
        腹は小刻みにふるえ あたりの風を吸い込む
        やがて吸い込むものがなくなると
        聴く者の魂までも飲み込もうとする

        しかし青年は落ち着いたまなざしで
        荒い息づかいが静まるのを待っている
        きらびやかな蛇の毒が この世の疲れをしびれさせ
        心の憂いを溶かし去る
        静かな至福の時間を待っている


                     
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この作品は、広島で活躍するアコーディオン奏者・土本義博さんからの求めに応じて作りました。音楽コンクール入賞を記念して、東京・広島でリサイタルを開くことになり、そのプログラムの巻頭を飾ったものです。

タイトルの〈蛇腹の美学〉は、土本さんの発案です。私は文字通り、アコーディオンの中に演奏者を狂熱させる〈蛇〉という魔物が住んでいると捉えて、言葉のイメージコーディネートを試みました。

音楽という華麗な蛇が私たちの日常の憂悶を飲み込み、心を浄化してくれる幸福な時間を、土本さんは今日も多くの聴衆に与えています。