事故




     
交差点の人だかりは妙に静かだった。アスファルトに血
     の帯をひく、あお向けに倒れた幼女の前に、母であろう、
     若い女が膝をついてかがみこんでいた。誰
一人身動きも
     せずに見おろす中で、その母親の手だけがしきりに動い
     た。それは車に打ち割られた幼い頭からあふれ出た脳髄
     であった。母親は流れ散ったものを両手で包んでは、わ
     が子の頭に押しもどそうとした。しかし、その柔らかな
     命は、手に力がこもるほど、閉じた指の間からにじみ出
     て行った。
     ハンカチで口を覆ったまま、私は人の群れから小走りに
     ぬけ出ると、舗道の端にうずくまった。子供を持たぬ青
     白い手  その私の手を、からの胃から出た透明な液が、
     清潔に汚しながら滴り落ちた。

                       
詩集『アンコール』

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この作品は詩人・安西均が懇切な作品評を書いていますのでご紹介します。

「何とも名付しがたい、恐ろしい事故現場に作者は居合わせたのだろうか。幼女の砕き割られた頭蓋から、脳髄が流れ出ている。若い母親がかがみ込んで、両のてのひらでそれを割れた頭蓋のなかに収めもどそうとしている。
 正直なところ、わたくしはこれを読みながら、まず事柄の異常さに となり 、すぐに生理的嘔吐感をもよおしたほどであった。作中人物も、後段で、道端にかがんで吐き気をおさえきれないでいる。
 そういう衝撃性・グロテスク・嘔吐感にかかわらず な感じに打たれるのは、若い母親のその行為であろう。その厳粛感がグロテスクさも生理的嘔吐感も消し去ってしまうのに違いない。
 作者はこの詩で、怖いとか、かわいそうとか、主観的な言葉をいっさい まずに、冷静な筆致で叙述している。それがこれを〈作品〉にまで高めたのである」